世相
平成24年 正月
- 2012年01月
「江戸学、仇討ち、上意討ち」
300諸侯と言われる様に、明治維新前は日本国内は300近い国に分割され統治されていた。諸藩はそれぞれ独自統治されており、独自の法政もあったが、基盤を為していたのは江戸幕府の法度(法律)と武士のしきたりである。映画「小川の辺(ほとり)」は上意討ち(つまり殿様が決定した、脱藩者への死罪執行)、を命じられた藩士とその家族を描いたものだが、遠く他藩まで出向いて、刃向かう相手に対し死罪を執行するのである。自藩の行政範囲を超えた場所での執行であるが、執行後の処理、執行した場所である他藩の処理などどうなっていたのであろうか?同じ映画に仇討ち場面が出てくるが、仇討ちは当該藩内で合法的に認められたものではあるが、多くは他藩内で実行される。返り討ちという気の毒な事もあるのだが、これら他藩が認めた合法的刃傷沙汰はそれが実行された自領の藩での処理はどうなっていたのであろうか? おそらくは、徳川幕府が定めた武家諸法度など、侍の法律により300諸侯内いずれの場所においても同じ処理がされていたのだろう。諸侯とは言ってもやはり同じ文化基盤。現在の世界諸国ではこの様には行かない。
藤沢周平原作である東北の架空の海坂藩(庄内藩がモデルらしい)舞台のこの映画のシリーズは、武家社会のモラリティを、厳しくもまた美しく映し出しており、日本が現在失いつつある武士道精神を要所で見せつけてくれるのである。日本の山河の描写も実に美しく、心が洗われる映画でもある。
「TPPと農業振興」
野田総理の決断で、動く方に動いたといった感じの結末だったが、多くの自動車メーカーや家電メーカーはすでに多くが海外での現地生産となっているので、この騒動も蚊帳の外で傍観していたに等しかったのではないだろうか?多数の有力部品メーカーも引っ張って行かれてしまった。古く日米の貿易摩擦のパッシング時代から自動車メーカーの多くは北米に工場を開設し、現地生産・現地販売の方途を開拓し今日に至っている。今更TPP でもないのかも知れない。
食料の自給率は上げなければならない。小麦とか豆とかとうもろこしとか、何しろ輸入比率の高い品目ばかりだ。米の国内自給率が100%とは言うものの、肝心の生産農家の実態は高齢化による労働力不足で年々深刻さを増し、TPPでの逆風とかなんとかでは無くて、放っておいてもこのまま生産が保持できるのか大きな疑問だ。
組織改革が必要だ。工業化が必要だ。利益主眼の会社組織にして工場生産を最終ターゲットとした管理された集約化が必要だ。幸いにして日本の農産物の品質は世界のトップクラスが山ほどある。コントロールさえ良ければ大きな輸出産業としての発展も見込まれる。多くの「きのこ」は工場で計画的に生産されている。農産物は可能な限りこの様にしてしまえば良い。
「節約学んだ日本」
原発停止による発電量減少に対する夏場の節電は十分に効力を発し、ついに突発停電は避ける事ができた。従来電力は金さえ払えば湯水の様に使っても問題無いという誤った認識があったかも知れない。多くの電気器具や住宅などが省エネ対応型に移行しつつあり、また、ありとあらゆるソースから電気を獲得してやろうという取り組みも活発だ。これら発電源からオンタイムに無駄なく電力を消費者に供給しようと、デジタル機器を介在させたスマートグリットと呼ばれる手法の開発が進んでいる。資源の無い日本はすべからく省エネルギー対応に進むべきで、並んでやはりエネルギーに関しては無駄を廃すべきだろう。
発電所をやたら作るだけが能では無く、省エネ化して消費量を減らし、さらに無駄使いはやめる。世界に先んじて省エネ世界を日本で実現するべきだ。ところで徳川幕府後半の江戸市中は完璧に近いリサイクル環境都市であった。江戸学に学ぶところは多い。
「猿の惑星・創世記」
20世紀フォックス社が昨年リリースした猿の惑星シリーズの一つだが、宇宙飛行士が、とある惑星に不時着したら、そこは進化した猿が支配する世界であった、という従来のストーリーとはまったく違う構成である。設定は現代で、痴呆症に劇的に効果のある試薬を投与された一匹のチンパンジーが生んだ子供が、その薬剤の影響で驚異的な知能を有してしまい、都市部にいた他の類人猿を引き連れて人間に反乱を起こすというストーリーだ。この映画は、1968年にリリースされた映画猿の惑星シリーズの物語の前段階であるという逆設定の映画で、設定自体が斬新的で面白い。続編がいくらでも出来るという布石がある。
従来版ストーリーの2001年版を同時に見てみた(全部飛行機の機内上映だ)。猿の着用している衣装は日本の武士の甲冑のデザインで、騎馬武者も居る。つまり猿イコール日本人という単純な発想だ。スターウォーズのジェダイの敵、シスと配下が着用しているのも甲冑のモディファイだ。敵の武装軍団を明らかに敵と判りやすくする選択の際に、日本の武士が最も適役とされたのだろう。永い間の白人優位(支配)の世界にピリオドを打ったのが日本だ。底辺には色濃く残る白豪主義がある。白人優位、有色人種は劣という思想だ。
映画に対しては、日本人と、日本文化を侮辱したものとして、日本の文部科学省あたりがアメリカに一言いちゃもんをつけておくべきだったろう。甲冑は猿の衣装ではなく日本の伝統文化であり、それを着ている猿と日本人の対比は許し難いと。大人げないかも知れないが、これが外交と言うものだ。
「国際鍛造会議・インド、ハイデラバード」
昨年11月、主にスティールの熱間鍛造業者が主体となるが、三年に一度の鍛造業のお祭りとも言える、第20回国際鍛造会議がインド・ハイデラバードで開催された。主催者側のインド鍛造協会による発表では参加者は1000人弱、日本鍛造協会からは50人の団体参加があったが、スポンサーとしての参加や個人参加、現地参加など全部ひっくるめると、およそ百人ほどの日本人が参加したと見られる。インドでは1990年に第13回国際鍛造会議をニューデリーで開催している。今から20年前だ。その時のホスト企業はほとんどが現在まで存続しているインドの有力鍛造会社だ。その時にホスト役であった鍛造会社の社長さんの息子さん達が、今回のホストになっている。一世代経過したまことにほほえましい現象に皆で祝福したものだ。先代のお父さん達は業界功労者として今回表彰の対象となったが、多くがこの数年の間に物故されており、表彰は息子さん達が受けた。
2010年、インドの自動車生産台数は200万台に達したが、2012年までに倍の400万台までの増加が見込まれ、まさにインド自動車産業を支える鍛造業はここインドではその生産量を倍増しなければならず、世界各国から注目されているのである。
国際会議、それも鍛造関係であればハイデラバードで開催されるのには疑問符が付く。なぜなら、ここハイデラバードは鍛造業はあまり盛んではない(とは言うものの、弊社のプレス機はここハイデラバードにも何台か嫁入りしている)。普通であれば首都のデリーか、ムンバイ。それでも無ければベンガルールであるのが順当ではあるのだが、ここに白羽の矢が立った大きな理由は、その規模で南アジア最大と言われる「ハイデラバード国際コンベンションセンター(略称HICC)」が2006年に開設されたからに他ならないであろう。目下ハイデラバードは、ベンガルールとチェンナイに続くIT シティーを目指し猛烈に追撃しているのである。
「インド、ハイデラバード」
ハイデラバードという都市名を聞いてまず頭に浮かぶのはハイデラバードビリヤニという、春雨をぶつぶつに切ったかの様な長いインディカ米の炊き込みご飯である。ターメリックなどのインド独特のスパイスを利かせ、客の嗜好に合わせたチキンビリヤニ、マトンビリヤニ、あるいは多くの菜食主義者の為のベジビリヤニなどがある。もちろんどこの都市でもビリヤニはあり、すでに炊き込んであるので手軽で早く出てきて食べられ、ランチなどでも手堅い人気のファストフードであるが、ここハイデラバードのビリヤニはインド人によればダントツに旨いのだそうだ。
ハイデラバードはインド28州の内のアーンドラプラディシュ州の州都。都市部での人口は約700万人ほどに上りインド6位である。
インドには主要五都市があり、ニューデリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ベンガルールであるが、ハイデラバードはこの主要五都市の次に位置する。2008年に新しく開港した郊外にあるラジブ・ガンジー国際空港は、過去のインドの空港のイメージを最初に一新した先進諸国と同等の空港である。ちなみに、空港名であるラジブ・ガンジーは元首相の名前であり、長期インドの政権を担当した女性首相インディラ・ガンジーの息子である。ネルー元首相の孫でもある。
戦後のインドの指導者は多くが暗殺されており、インド独立の指導者の一人であったマハトマ・ガンジー(インディラ・ガンジーとの家族的関係は無い)は同朋であるインドのヒンズー教徒右翼に暗殺された。イギリスからの独立の際にパキスタンの分離を認めてしまったからである。インディラ・ガンジーは北部シーク教徒への弾圧を恨まれ、シーク教徒である自らの護衛に暗殺された。その息子ラジーブ・ガンジーは、スリランカのタミール族への弾圧に反発され、女性テロリストの目前の自爆テロにより爆殺された。ラジーブ・ガンジーの妻であるソニア・ガンジーはインド人では無く、イタリア人であり、度重なる政権担当要請を固辞しているのだが、おそらくテロの標的にされるのが怖いのであろうと推測している。彼女にはまだ若い息子がいるが、おそらくこの息子が政治家ファミリーガンジー家の次代を背負うのであろう。ハイデラバード中心にある、千人を収容できるイスラム教モスク、メッカ・マスジドはインド最大級のモスクである。インド独立前のハイデラバード地方はモスラムの藩王ニザーム家が統治していた。ハイデラバードはイスラム教徒の国であった。
長いイギリスの植民地支配が終りつつあったインドは、宗教の違いから、その宗教色が強かった地方毎に四つに分離してしまうのである。これがヒンズー教のインド、モスラムの西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタン(現在のバングラディシュ)、そして仏教のスリランカである。
ハイデラバードはあまりにインド中央部にあったため、分離独立する事ができず、インドの一部とならざるを得ない道をとったが、その余韻は今にいたるまでくすぶり続けており、ハイデラバードはアーンドラ・プラディシュ州からの分離を今でも強く希望している。
「ブラジル、チューボテック、セナフォー」
一昨年に引き続き、昨年九月にポルトアレグレで開催されたセナフォー 2011に出展参加した。鍛造関連だけの国際会議兼展示だったものが、ここに来て板金加工と粉末成形なども網羅し始めており、塑性加工全般に網の目をかけてきている。中国鍛造協会も同じ手法で守備範囲を広くしているが、依然お山の大将でそれぞれの工業会がてんでんばらばらに活動している日本とは大きく舵取りを変えてきている事が良く判るのである。
サンパウロ到着日の午後、市内のイミグランテス国際展示場で開催されていたチューボ 2011という配管関係の展示会に見学に出向いた。展示会は午後2時から夜9時までの開催で、なんとも我々からすると勝手が異なる夜型展示会である。メタルテックと エクスポボンバス(ポンプ)、エクスポバルブ (ストップバルブ関連)、サーモテックなど合計9展示会の合体だ。なにしろ驚嘆はおよそ半数以上の出展者が中国勢。多くは黄銅やステンレスの配管金具やパイプ関連だが、世界展開に賭けるそのしたたかな強さを感じた。日本勢は2~3社程度、ここでも後塵を拝しているかに見える。九月にハノーバーで開催された総合機械展示会EMOでも中国勢の出展多数で、終盤に開催されたビア‐ホールでの慰労会も、ファナックのパーティーでも多くの中国人で圧倒された。
セナフォーは今回で31回目の開催と、非常に古くから開催されている由緒ある国際会議兼展示会だ。ブラジルの塑性加工展として大きく躍進を始めたと感じられる。日本からは弊社のみ参加で中国からの出展は無かった。開催地がサンパウロから南に空路一時間半のポルトアレグレという都市での開催だからかも知れない。ポルトアレグレはドイツからの移民が多く、塑性加工業の集積がある。弊社は今回サーボ駆動スクリュー式タテアプセッターの事例発表をする事になったが、発表後弊社小間に多数の質問者がお見えになり、効果深甚だった。直接商談に結びついてくれれば遠く地球の反対側まで出向いた価値が出る事になるのだが。なにしろブラジルは遠い。
「韓国シングルママ」
ブラジル出張の際、最近仁川空港経由の大韓航空機を使用している。日本航空が路線を廃止してしまった為だ。韓国発という理由は、価格が超安く、座席が良いからだ。韓国も日本も地球の裏側のブラジルまで一足飛びという訳には行かないので、途中アメリカで給油の為にワンストップする。
帰路の飛行機、隣の座席にアズマ(韓国のおばさん)が座った。ソウルの郊外で食堂を経営し、息子を高校の時からアメリカに留学させているという。現在息子はテキサスの大学に通っていて、久しぶりに息子を訪ねた後、一人でグランドキャニヨンなどをグレイハウンドのバスを使って観光し、これから帰国するのだそうだ。さぞかし旦那さんが帰りを待ちわびているのではないかと聞いたら、シングルマザーなのだそうだ。韓国の町中の飲食業や、商店の経営者はこの手の人が多い。日本とはかなり違う。息子さんは卒業したら韓国へ戻り、大企業に就職するのですね?と問いかけたら、韓国では余程で無いと良い就職口が無いから、アメリカにずっと在住させると言う。日本からの海外留学生の数が減少の一途という事で大問題の様だが、隣の韓国はまさに正反対。残念な事に強さを感じる。息子を高校の時から海外留学させる資金も大変だろうし、時々訪問する旅費も大変だろう。アップグレードしたとか言っているがビジネスクラスだ。資金援助をしてくれるパトロンでも居るのかとは聞かなかったが、会話は日本語でも無く、韓国語でも無く、英語だった。
「肥満、ブラジル・インド・アメリカ」
懇意にしているインドの仕事仲間である商社の副社長の娘の結納式に付き合わされた。日本の結納は当事者家族と、仲人だけでつつましくやるのが一般的だが、インドの場合厳粛なセレモニーで、多くの親戚知人が呼ばれる様だ。商社のムンバイ本社、デリー支店、ハイデラバード支店などの主要メンバーも遠方からチェンナイに集合した。久しぶりに会ったムンバイ本社の社長の奥さんに「大分太りましたね」と言われた。もうかれこれ八年程まえに自宅の夕食に招待されて以来だから、そりゃ体型も変わったかもしれないが、「インド太りですよ」とやり返したものだ。毎月の様にインド出張で、インドでは最近インド食しか食べないので、太るのも仕方ない。インドの中流から上流階層は多くがベジタリアンなので太りそうも無く思えるが、多くが肥満の問題を抱えている。運転手付の車で基本的にドアーからドアーへ移動するので運動不足である事が一つの原因だが、なにしろ量を食べるのでびっくりする。同時に油分を多量に摂取してしまうので、肥満に繋がる様だ。膝と足首に負担がかかるのだろう、多くの人が年をとると階段の上り下りも難儀している。空港でも車いすの数が非常に多い。日本ではあまり見かけない光景だ。高カロリー食・過食・ジャンクフードのアメリカやブラジルなどでも多く見かけるのであるが、辛すぎもせず、塩分もほどほど、油分も少ない健康食である日本食に注目が集まるのもうなずける。しかし中国や韓国の連中に言わせると、和食はあまりに味が薄すぎて、三日も続けると味が弱くパンチ不足で参ってしまうらしい。
「ドイツ、タクシー韓国車三年保証」
ミュンヘンで乗ったタクシーの運転手、車はベンツであるが、次は現代自動車にすると言う。なぜなら三年保証をしてくれるからだそうだ。韓国政府の後押しがあるのだろう。韓国の輸出振興策はなにしろ強烈なバックアップで諸工業をサポートしている。資源が乏しく、国内需要を支える人口もさほど多くは無いので、韓国のスタンスは輸出振興一本に尽きる。諸外国との自由貿易協定の推進も日本を尻目にどんどんと締結を拡大している。日本はと言えば、またぞろ鎖国でもしようかと思える様な遅々とした進展なのである。鎖国は鎖国で徳川のよき時代を思うと悪いとも思わないが、現在あり得ない選択だ。国が成り立たない。農業は国内自給率を高めるばかりでは論争に乏しい。これからの先進国の定義は農産物輸出国である事は間違いない。
ところで、日本で自動車の三年保証は聞いた事がない。乗り始めから三年の内に大きな故障も経験した事がないから必要性も無いのかも知れない。ドイツで日本車の販売プロモーションで三年保証が必要あるのだろうか?無いのだろうか?タクシーの運転手の話から推測するとドイツ車は頻繁に故障があると推測される。韓国車は自信があって三年保証をうたっているのだろうか?自信が無いからだろか?
「インドネシア、機械展示会」
ユドヨノ大統領による比較的安定した政権運営により、インドネシアの経済活況は著しく、おかげで自動車と二輪車の購買数が上昇、ジャカルタ市内は至るところ車列の渋滞である。ジャカルタ市内は時間帯によって、乗用車には三人以上乗車していないと道路を運転出来ないので、数合せで乗車してくれるアルバイトが道路脇で片手を挙げてずらりと並ぶのも面白い。弊社は自動車や二輪車の部品を製造する為の機械を製造し、販売し、ここインドネシアでも多数お買い上げいただいているので、この渋滞増加に弊社も関与している事になり、誠に申し訳無い気もするのである。
今回で25回目になるマシンツール・インドネシア展が12月ジャカルタで開催された。増加する出展社数に対するスペース確保がいよいよもって困難となり、前回まではテント仮設ブースでしのいでいたが、今回は包装・プラスティック展を別の日程に移し、機械・製造、及び溶接関連の専門展示会となった。展示会の出展社数と景気は比例するので当然な帰結と言って良いだろう。
ジェトロは今回ジャパンブースを設営したものの、新参者の憂き目で設営場所は正面入り口から最も遠い位置。展示規模も、台湾や韓国の圧倒される規模のナショナルブースに比較して遠く及ばす、何にも増して国の後押しの強さの差を感ぜざるを得なかった(ちなみに、韓国ブースは装飾付小間代と、一人分の旅費・ホテル代の半額が企業負担。二年前は全額無料だった)。タイのナショナルブースにさえ及ばない。しかし弊社の様な独自出展や、地元商社からの出展、さらにシンガポールやマレーシアの現法からの各国ナショナルブース内での出展などもあり、日本勢としては台湾に次ぐ150社ほどの出展社数であった様だ(公式カタログからカウント)。年々中国勢の勢いが増し、瀋陽机床は広いブースでCNC旋盤やマシニングセンタ、横中ぐり盤などを展示実演した。訪問者数は一日あたり4千から5千人だったので、総計2万人程度であったはずだ。規模の大きな民族資本の会社を除く中小のローカル企業には、投資資金が十分では無いので、高額な工作機械を購入する力は十分ではなく、これら企業では当面安い中国製機械や台湾の製品が売れ筋であろうかと思われる。弊社ももう少しの辛抱だ。
タイの水害による部品供給減の影響を受け、インドネシアでも二輪や自動車の減産を余儀なくされており、タイの工場からの部品生産のシフトも検討されている。だが事は容易ではなく、ジャカルタも年明け一月から二月の降雨のピークによる大規模洪水が予想され、政府としても目下喫緊の治水対応に迫られている。さらにインドネシアは地震の巣でもあり、リスクマネージメントの面から考えると、インドネシアが決して安心できる場所では無い事がわかるのである。
「上海オートメカニカ」
第七回目の上海開催の自動車部品展に出展するチャンスがあった。メッセフランクフルトというドイツの展示業者と中国汽車工業国際合作総公司が共同で主催している中国国内最大規模、世界的規模の自動車部品の展示会である。
三十六カ国からの出展、12のナショナルブースが設営され、インドと日本(ジェトロブース)は今回初めてのナショナルブースを出展した。出展社数はおよそ3500社で13館とテント6館、合計16万m2という、大々的規模で、入場者数は公式に六万人という事であったが、入場時のカウントが実施されておらず、ざっと倍の12万人は入っていたのではないかと推測した。いずれにしてもちょっとした展示会でも出展社数は500程度であるから莫大な規模の展示会である。ほとんどが自動車の中に組み込まれる部品類と保守工具、保守装置などの業者で、部品製造業者の出展社には、弊社のプレスで製造されるべき部品製造も多数あり、自分の小間に居るより全部を回りきるのに忙しかった。駆け足で回っても丸二日必要だった。
地元出展社の多くは江蘇省や浙江省の会社で、広州など南部、北京以東など北部の会社が少なかったので、それらはその地方で開催の自動車部品展に出展するのではないかと想像される。ちなみに来年の四月には北京で同規模の展示会がある。
展示会で特に印象に残ったのは、海外からの、おそらく買い付けに係わる訪問客である。イラン、インド、トルコ、アラビア諸国、それにアフリカ諸国である。会場の中でも中近東諸国らしき人の数が非常に多かった。これら諸国の自動車産業とアフターマーケットでの部品需要がおそらく中国の部品産業と直結していると想像できるのである。
中国が自動車部品産業の集積地となりつつあることは、自動車の生産台数から見ても肯う事が出来る事実でもある。しかし会期中に多数耳に入ってきたのは中国の景気減速である。新幹線建設は、温州の事故後の開発見直しで全面ストップしており、多数のマンションなどの建設も売れ行きの鈍りから新規案件はストップしているらしい。金融機関の貸し渋りと強硬な回収(ひっぺがし)から中小企業の一部はヤミ金融にも手を出している様だ。輸出産業は、ヨーロッパや北米の景気減速による需要減から倒産も出ており、年明けは景気の動向に十分注意が必要と見られる。
「タイ洪水、タイメタレックス」
タイの大規模な洪水は、毎年11月にバンコックのバイテック国際展示場で開催される機械見本市「タイメタレックス」を1ヶ月延期させてしまった。多数の出展社は1ヶ月では無く、翌年の2月までの延期を希望したらしいが(1月は旧正月がある)、外国の会計年度は多くが12月で終わるので翌年に2度のタイメタレックス予算をとる事が困難という事で、クリスマスにかかる12月開催となった模様だ。
多くの工作機械は洪水後の特需で装置そのものが払拭しており展示会に出展する機械さえも特需に回ってしまったらしく、特に日本の工作機械の出展は激減した。JAMTATと言うバンコク在住の工作機械メーカーや商社の親睦団体の共同小間も今回設定されなかった。20社近く出展を取りやめた様だ。出展社は小間内共同出展社を含め1000社ほど。共同出展社を除くと総数は約500で、去年より1割半ほど少なく、臨時テント館は設営されなかった。
毎度の事ながら、展示面積の大きいのは台湾のナショナルブースである。ジェトロも共同ブースを設営したが、残念ながら目立った規模ではなかった。来場者数は懸念した程減少は無く、連日多数の訪問客が来場した。
中国からタイへの工場シフトの案件が結構ある様に感じた。リスク分散からであろう。
本年は、図らずも会社・工場運営のリスクマネージメントに大きな警鐘を与えた1年となったが、アユタヤ周辺からバンコク市内へのチャオプラヤ川の流域は何年か毎に洪水が発生しているいわく付きの場所である。タイの多くの自動車生産工業は稼働を再開したが、ホンダだけは組み立て工場が水没してしまったので再開の予定もたっていない。なぜそんな場所に工場を作ってしまったのであろうか?確か8?10年前だったと思うが、今回ほどではないがやはり洪水が発生し、バンコック市内のシャングリラホテルまでもが営業出来なかった事を良く覚えている。洪水は頻繁に起っている。
しかしリスクという面ではタイはまだ周辺国と比べ安心であろう。特にバンコック東部のチョンブリ県やラーヨン地域で少し内陸に入ったところは地震も無く、水害も無く安心できる地区だ。多くの自動車産業が集積し、治安・政情面や住みやすさからまだまだタイへの日本企業の移転は続くものと見ている。
ヨーロッパやアメリカの景気動向が今年の世界の景気を左右する事には間違いなさそうである。またそれに連鎖して中国の景気が極端に悪くならない様に祈念している。いずれの場面でも日本は大きな影響を被る。
中長期的に見て日本の取るべき道は、はやり技術の革新しかない。電力消費の少ない省エネ立国、新素材開発を基盤にして若い技術者を育てて次代につなげて行くしかすべが無い。
本年も貴殿・貴社の御健闘をお祈りします。