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世相

平成18年 夏

  • 2006年08月

「アジア通貨」
数年前、一万円出すと両替で十一万韓国ウォンくれたが、昨今では八万ウォンしかくれない。一タイバーツは過去数年前二.二円で買えたが最近は三.二円出さないと買えない。アジアの各国通貨は通貨危機前のレート換算よりかなり高くなった。これは各国の経済実力が強くなったと見て差し支えないだろう。日本からの輸出は大変しやすくなった。又、韓国や東南アジア諸国等、素材やパーツを日本から輸入している国は、製造コストが割安になってきたし、設備投資コストが安くなってきた。


   
「インド・インフラ、日本・税金」
経済発展が急ピッチで進むインド。インフラの整備が追いつかない。特に交通手段の整備は目下最大の重要事項である。道路整備の遅滞はまさに自動車の洪水を巻き起こしている。少なくとも自動車産業の発展に加担している弊社もその混乱を引き起こしている張本人の一人である事は間違い無く、内心忸怩たる思いではある。鉄道の線路網は広大なインドアジア大陸を縦横には網羅されているが、旧態依然の車両と設備と運行数の少なさは、とても外国人が乗れるレベルでは無く(仕方なく度々乗っているのではありますが・・・)重大な事故も度々発生している。従ってどうしても長距離の都市間の移動は航空機に頼らざるを得ない。ビジネスに聡いインド人であるから、ここ最近インドの航空会社はまさに雨後の竹の子の様に多数設立されている。当初は国営のエアーインディアの系列会社であるインディアンエアーが唯一国内線で就航していたものが、もう十年位経ったであろうか最新の機材と欧米ファッションスタイルの若いキャビンアテンダントをもって、定刻通りの発着をうたい文句にジェットエアーが新規参入した。その後エアーサハラ、エアーデカン、スパイスジェット、キングフィシャーエアー(インドでもっとも有名なキングフィッシャービールが経営。日本だったらキリンエアーかアサヒエアーといったところか)、更にパラマウントエアーウエイズ、GOエアーと、狭くて綺麗とは言えない飛行場のチェックインカウンターや搭乗口はもう大変な様相だ。機材繰りをかなり無理していると容易に想像つくが、朝方は概ね定刻通りの離発着をするものの、逐次遅れが積み重なって、夕方から夕刻にかけての便は軒並み1時間から2時間の遅れとなって、乗り継ぎの際、特に国際線への乗り継ぎは運動会となってしまうのである。空港内の移動手段は、いつ出るとも判らないシャトルバスだけで、とは言っても外に出てタクシーで移動したとしてもこれまた交通渋滞。はてまた焦ったお客を見て雲助タクシーがここぞと待ち構えており、まさに踏んだりけったりの状況なのである。航空会社の乱立でパイロット不足による欠航もある。つい最近、計画中の新空港ビル建設により、空港従業員が削減される可能性があるとして、数日間のストライキがムンバイとデリーの空港で発生し、一切の清掃がストップしたことから空港内はごみの山となり、トイレもあふれてしまったのである。
確かに日本は酷税である。三代経過すると財産は全部お国に御召し上げだ。税金(特に消費税)と聞くと即座に拒絶反応を示す人は多いが、それは間違っている。やはり見入りがあれば相応(これが大事)のショバ代は払うべきだ。
父親の代、弊社は諏訪に沢山のお客様が居たが、工場があった都下府中市から諏訪までは、中央高速の無いその当時は片道の移動だけで一日かかった。映画オールウェイズの時代だ。
今はどうだ、三時間だろう。早出して、諏訪で仕事をして夕方には帰ってこれる。
新幹線。五分か十分ごとに次々と定刻どおりにプラットホームに入って来て、定刻通りに目的地に到着する。それも航空各社も苦戦するほど信じられない程の高速で。
停電?あるとしたら災害時だ。毎日定期的に停電する事など無い。すべては我々の拠出した税金で整備された貴重なインフラである。我々はこの至便さを日常の生活でも仕事の場でも享受して軽快かつ効率の良い仕事が出来ているのである。インフラの整わない国に足繁く出向いて、さんざんな目にあいつつ仕事をしていると、日本では気づかない、日本で生活する事の幸せを強く感じる。我々は素晴らしくインフラの整った国で活動している。その原資である税金は応分支払うべきだ。 ただし念を押しておくが、それを使う側は決して無駄はしてもらいたくない。公務員は多すぎる。
また、中小企業の相続(特に株式相続)は税制面で酷である。農業並みの優遇が必要である。真剣に跡を継ごうとがんばっている二世経営者には当面飴を与え、しっかり稼がせてガッポリ上前(法人税)をはねれば良いのではないか。まず種籾を撒いて増やさせるのだ。数十倍数百倍に。最初に種籾を食べてしまえばそれっきりだ。
株式以外の現社長父親の個人財産は別に構わない。父親の財産は父親の努力と才覚で蓄積したものだ。その子供に同等の才覚と努力があるかどうかは本人次第だ。自分の財産は自分で稼げば良い。ただし、半ば公器である企業は相続税が元で縮小廃止されるべきではないのではないか。(この項は五月に他界した私の父親に捧げる。厳しくはあったが経営者としての基本を教えてくれた)

 

「小泉外交」
あまり政治に関する事は記述したくないのだが、弊社の製品の八割が輸出であり、アジアでの海外展開が広範囲に渡っている関係から、小泉首相のアジアでの外交失策は遺憾に思っている。自己のポリシーや主義はあるだろうが、外交の要諦はギブアンドテイクであり、時に不本意な譲歩も必要となる。薩摩の剣法示現流の流儀は「肉を切らせて骨を切る」ということだったそうだ。
そもそも産業界の、この必然的な否応の無い海外展開を政治家はどう心得ているのだろうか? もう少し我々産業界の困難な海外進出に考慮を払ってもらいた。現在自動車や、機械産業が頑張っているからなんとか立ち直りつつある日本だ。尻を捲くられたら一巻の終わりではないのか?

 

「タイ混乱」
タイの政局が混乱を極めている。タクシン元首相(やむを得ず辞任した)一族の不明朗な金銭取引に都市部の国民が反発した結果である。額が中途半端では無かった。経済発展を引っ張ってきたタクシンの評価は悪くはなかったので、些少の額であればこれほど大事にはならなかったのであろうが、何故そこまでやってしまったのか残念である。発展途上国、あるいはそれを乗り越えたばかりの国の領袖の多くが政治の傍らその実権を利用して私財の蓄積に励むのが残念でならない。そしてタイはいつものパターンであるが、最後はプミポン国王の裁定で全てが決着するのである。国民の絶大な尊敬を得ている国王も在位六十年、全て最後の決着を年老いた国王に依存するタイ国の民主主義はまだ多くの問題を抱えている。

 

「マレーシア車事情」
ひさしぶりにクアラルンプールに滞在した。今年はMTA展示会のマレーシアの回り年であって、自動車製造についての行政が大分変わって自由化してきているという事を主催者側から聞いたのでためらう事なく出展を決めた。ただ、ゴールデンウィークは全部返上となってしまった。
マハティール首相からアブドラ首相(奥さんの母親は日本人であるので、子供たちは三分の一日本人の血が入っている)に変わり、車の生産については政府はあまりちょっかいを出さず中庸を保つ様になったらしい。それは日本には有利にはたらいていると思うが、韓国車にも言えているだろう。対してマレーシアの自動車メーカーである、プロトン社には向かい風かも知れない。
プロトン社の自動車は、 SAGA, WIRA, ISWARA, PERDANA, WAJA, TIARA, SATRIA, GEN, SAVVYで、WAJAはロータスからの技術を導入した1.6リッターカーでよく売れたが、ライセンス料が高くプロトン社を不調にした原因となった。 TIARAは生産を中止した。部品の仕入ルートが固定し、高い買い物をしているという噂がある。また樹脂部品には品質に問題があるという事も聞いた。
プロトンともっとも競合しているのが、
PERODUA社。 KANCIL, KEMBARA, MYVIなど、ダイハツの技術による小型車で人気急上昇中の様だ。
韓国起亜自動車の技術を導入しているNAZA KIA社。 SORENTO, CAREN, CARNIVAL, SPECTRA, SPORTAGE等を製造している。
他、クアラルンプール市内を走る車は、
ホンダ。当初KAH(カーモーターズ)社をディーラーにする予定であったが、政府の方針変換により、独自に販売可能となったので、現在独自で販売している。
現代自動車。ホンダが蹴ったあと、KAHをディーラーにして拡販中。
その他、トヨタ、日産、マツダ、三菱自動車、シトロエン、フィアット、フォード、GM,ベンツなど。
一時ほとんど姿を消したかに見えた韓国車が勢いを伸ばしている様に見えた。
クアラルンプール市内は依然建設ラッシュであり、シンガポールに追いつけ追い越せの感がある。市の中心部はシンガポールのオーチャードロードを非常に意識して整備している。しかし、タクシーは観光客相手や、ラッシュ時になるとメーター乗車を拒否して言い値となったり、バイクの引ったくりなど個人的には治安上の問題は解決されていない様な気がした。

 

「ベトナム・日本車」
最近ベトナム、ホーチミン市の日本車がめっきり増えた感じがする。十数年前、初めてハノイに行った際は、市内のタクシーは数十台のカローラだけだった。その後、数年を経ずして、ベトナムのタクシーはあっという間に殆んど韓国車になってしまった。そんな状態が長い間続いたものだが、なにか最近日本車の台頭が感じられる。何でも購入2~3年後の故障率の低さが好評だからだそうだ。

 

「文字」
再三述べているが、韓国が漢字を捨ててしまった事を非常に残念に思っている。韓国語が漢字表記であればもっともっと簡単に韓国語がマスターできるはずだ。学習の効率や、自国文化尊重でその様になったのであろうが、日・中・漢と欧米以外の大きな経済圏が形成されつつある現在、ハングル文字だけの韓国はハンデがある気がする。
仮名と漢字を上手くミックスしている日本の言語システムには個人的に絶妙なバランスを感じる。何でも取り入れてそれを自己流に崩していった日本の典型的パターンの一つである。仮名だけでは本の斜め読みは出来ない。表意文字の漢字があるから可能なのである。
アメリカやイギリスの語学学習学校では、講義内容をノートに効率よく速記する手法を学習する講座がある。例えば英語の場合、「川」はRiverと五文字書かないと実態が掴めない。
「山」はMountainと七文字も書かなければならない。短縮・速記のテクニックが必要である。一つの単語に五つも七つも文字を書いていたら、講義のメモも出来ないのである。
漢字ではどうだ。川は線を三つサッサッサと書けば良い。山も一文字。何と簡単な事か。速記術は必要ない。かくも表意文字の漢字は効率的に見事な特性を持っている。
小学校時代、漢字の学習では大変な目にあったものだが、今思うと理解判断が瞬間に可能な漢字をマスターしている事のメリットに大きく感謝している。
インドネシア・マレーシアは現在アルファベットを使用している。昔は近隣諸国と同じミミズの文字であった。恐らくオランダ統治の時から強制的に変えられてしまったのであろう。ベトナムはベトナム人がそもそも中国雲南省あたりから移動して来たものであるから、元来漢字文明である。ここもフランス統治の頃アルファベットになってしまった。実に残念だ。ベトナム語が漢字表記であったら、もっと簡単にベトナム語が学習できるはずだ。
インド・パキスタン・バングラディシュ・スリランカは長い英国統治の末も自国の文字は失っていない。英語が共通語であるが、自国言語は自国の伝統的文字と共に残っている。
ミャンマーもそうである。タイはそもそも植民地支配から上手に逃げたので別格である。
戦後、進駐軍は日本語をローマ字表記させようと画策もしたらしいが、とんでもない事だった。当然といえば当然であるが、変えられなかった。しかし、今この原稿はパソコンで作成しているのだが、打ち込みはブラインドタッチのローマ字で打ち込んでいる。これは非常に早く打ち込める。コンピューター時代になって、日本人は自国言語に、漢字・仮名とさらにローマ字というアルファベットまで絶妙にミックスしてしまったと見て良いのではないか。二十世紀後半から、日本はアルファベットもパソコンを効率良く使用する過程で、自国言語に上手く溶け込ませてしまった。

 

「機械・赤ちゃん・愁訴」
機械と赤ちゃんは同じだ。不調で突然止まる前に何かしら愁訴する。異音(泣き止まない)、発熱(赤ちゃんも同じ)、異臭(不快な臭いのゲップとかガス)、異常な振動(震え)、油漏れ・空気漏れ・水漏れ(突然の失禁おもらし)、パワーダウン(元気がなくなる)等等。弊社では、若手工場作業者に、使う機械は自分の赤ちゃんと思えと指導している。使っている機械は突然故障で止まってしまうと生産工程に大きな支障を及ぼす場合が多い。あらかじめ不調(愁訴)を知って事前に対処したい。日本人であるから出来るのかもしれないが、これは職人としての大事な素養である。他の国では難しいかもしれない。

 

「計算尺・カメラ・VTR・ファックス」
計算尺なる物が何であるかわかる人も少なくなったはずだ。写真フィルムもいずれその様になりそうだ。フィルムカメラも一部プロ向け業務用やマニア用以外は消滅するのであろう。会社にあった在庫フィルムは数年前使用期限が切れたので捨てた。以来フィルムは買っていない。私の一眼レフカメラも処分しようか迷っている。ただ大きいだけの、時代の遺物となってしまった。
マレーシアで盛況に仕事をしていた懇意な会社が工場をたたんだ。主な製造品はVTRのアルミ製ドラムである。さもあろう。VTRデッキはすでに過去の遺物になりつつあり、DVDデッキがその後をとっている。いずれファックスも同様となるだろう。パソコンによるメールが後をとりつつある。あらゆる文書図面はスキャニングして鮮明に相手先に送れるし、相手先はプリントするかしないかは自由に決定できる。カラー写真も送れるし、修正可能なデーターで文章も送れる。料理が出来る。
時代は変化し、技術は常に前進する。そのままに居れば、いずれ自分も過去の遺物となってしまう。

 

「アメリカ、味・健康」
今春、シンシナチで開催されたフォージフェアに出展した。(写真)三年ごとに毎回シンシナチで開催される、鍛造(主に熱間鍛造)専門展で、展示会と技術発表が同時開催される。技術発表の時間は展示会場は閉鎖され、参加者は技術発表の聴講を余儀される。朝食・昼食・夕食が参加費に含まれ、カフェテリアが展示会場の奥にあるので、その間展示会場が開かれ、食事と一緒に商談が出来る様になっている。しかし、何度行ってもアメリカの食事には味わいが無い。味が大雑把でそっけなく量ばかりが多い。和食が洗練しすぎているのだろうか?基本的にアメリカ食にはヨーグルト等乳製品を除き、醗酵食品は無かったのでは無いだろうか? 醗酵食品の豊富なアジアの食材は一面健康食品の宝庫でもある。アメリカの沢山の超肥満体は食事から来ているのは間違いない。
ところで、インドのベジタリアン(菜食主義者)も肥満が多い。仲の良い仕事仲間のインド人はベジで肥満。ミスター榎本はいつもスリムだとお褒めにあずかりますが、その度に、冗談交じりに、シーフード主体の和食に宗旨替えしなさいと勧めている。勿論彼にとっては人の悪い冗談でしかないのは十分承知で言っているのだが。

 

「オールウェイズ・三丁目の夕日」
日本アカデミー賞各部門を軒並みさらった映画。東京タワー建造中の頃の東京が舞台だ。
東京タワーが見える三丁目の夕日は昔も今も未来もずうっと同じく綺麗だというのが題名の由来だ。電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ・力道山のプロレスリング中継・コカコーラ・ダイハツミゼット等映画のその場その場の情景はまさに私の子供時代の記憶にあてはまる。映画の中の自動車修理会社(とは言っても街中の住居兼工場)の鈴木オートの長男一平ちゃんはまさに私だ。私の父親は町の鉄工所を経営していたので多少の金銭的余裕はあったのだろう、GE製のテレビでプロレス中継も見た。近所のおばさんもその時間になると見に来たものだ。たぶん住まいのあった府中には米軍の空軍極東司令部があったから、基地の軍関係から中古テレビを買ったのだろう。百ボルトから二百ボルトに昇圧するトランスが別に置いてあったのを覚えている。東芝の電気冷蔵庫が来た時も良く覚えている。映画で演じる薬師丸ひろ子の様に冷蔵庫の中に顔をつっこんでその冷気に感激したものだ。冷蔵庫は氷を入れて冷やす装置だった物が、逆に氷を作る物になるという、まさに立場が逆転した瞬間でもあった。一平ちゃんが言う「やーなかんじ」というフレーズはなにか漫談かなにかのヒットだったと思うが、私も良く使っては今は亡き母親に叱られた記憶がある。昼寝をしないと遊びに行かせないとしかられたのも同じだ。冷房等無い当時の日本の高温多湿の夏は子供にとっても大人にとっても過酷な季節だった。夏になると夏バテ防止に毎年パンビタンという武田製薬のビタミン剤を飲ませてくれたものだ。甘くておいしかったので、母親の居ない隙に一瓶全部飲んでしまって大騒動になった記憶がある。弟は寝汗のあせもで体中ぶつぶつになった。高度成長真っ只中であった今は遠い日本の昔。日本映画としては出来は上々で、懐かしく感激します。

 

「冷静と情熱のあいだ」
これも映画。辻仁成、江國香織が共同で書いた小説を映画化したもの。かつてつらい別れをした主役順正とその恋人あおいのフィレンツェでの再会を複雑な恋心を美しいイタリアの風景の中で描いた作品である。監督、中江功、主演竹野内豊、ケリー・チャン。ミラノ駅での二人の再会の最後のクローズィングの場面が普通の日本映画と比べ非常に上手い出来栄えだ。

 

「チームワーク・チームメート」
社会生活を営むためにはどうしてもチームワークを考慮しなければならない。もちろん山の中や孤島で外界と接触せずに一人で自給自足の生活が出来ないわけではないが、それは社会生活とは言わない。一般社会で生活するにはどうしても最小限、他人との接触における団体行動を要求される。
アーチェリー・弓道・ハンマー投げ・棒高飛び・三段跳び・スキーのジャンプ等は孤独のスポーツだろう。
マラソンや陸上競技・水泳・フィギアスケート等もその類いなのではあろうが、他の選手との駆け引きと自己の心理状況が成績を左右する要因になるらしい。マラソンでの他の選手との駆け引きは大きな勝因になるとか。柔道・レスリングなどの格闘技や、テニス・卓球等はまさに相手との勝負だ。一対一である。サッカー・ラグビー・アイスホッケー・バレーボール・バスケットボール・野球・シンクロナイズドスイミング等は団体対団体の競技であり、技量が互角であればチームワークの良し悪しが勝敗を決する大きな要因であるだろう。特に一つの球を両サイドに陣取った敵対敵が、広いコートの中で縦横に走り回り相手のゴールにシュートする、サッカーやラグビーのチームワークは勝敗の決定的要因の一つだ。会社もまさにそれと同じ。監督の的確な指示と中長期における作戦計画・訓練計画。それを実際に指導するコーチ陣。戦いの中、フィールドの上でチームを引っ張るベテランあるいは中堅選手。恐れを知らず力いっぱい突進する若手選手(時には大きな失敗もするが!)それぞれが持つ才能と日々たゆまない訓練、それら選手達を縦糸にするか横糸にするかのコーチの指導と監督の決断。報告・連絡・相談・段取り・打ち合わせ・話し合い、全メンバーの極めて風通しの良い意思の疎通が必要不可欠である。
最近気にしているのは、新入社員があまりしゃべらない事だ。自己主張が乏しい。質問に対しても、あった事実・自己の考え・自己の趣味思考を元にきちんと返事をしない。遠慮があるのか、人対人とのかかわりに大きな問題がある。
機械据付等、海外出張で若い工場の連中を連れて行くのだが、ホテルのチェックアウトの段階で、昨晩エアコンの冷房が効かず寝れなかったとか、風呂のシャワーがなく、蛇口で頭を洗ったとか(実は蛇口からシャワーへ切り変えるやり方がわからなかっただけなのだ!)、冷蔵庫がなかったとか(設置場所を良く見つけなかっただけ)とか、、、何故その時すぐ言わないのだろうかと首をひねる。
もちろんチームワークには大きな支障だ。学校という大きな団体の中で十分な訓練をしてきていない気がする。
若い連中だけに何かをやらせてみると、もっと顕著だ。まずまとめ役の親分肌の人間が出てこない。だから話し合いや打ち合わせ・段取りができない。皆で、てんでんばらばらに一つの課題をはじめるから収拾がつかない。もちろん危険である。声を掛け合いながら作業しなければ事故の発生が極端に高くなる。現在の教育内容に大きな問題があるはずだ。
ただ、ダメだダメだと思いつつ嘆きつつも、いつしか先達は先にこの世を去り、必然的にダメだろうが良かろうが、次世代に後途を託す以外に選択肢はないのである。さもなければ自己の代で・自己の裁量で終止符を打つかだ。会社はいいが、国はそうは行かない。会社は国を支えるベースでもある。嘆きつつも地道な毎日の努力を積み重ねるしか無いだろう。叩けよ、さらば開かれん。さもなければ愚公山を移す、か?若い連中に期待するしかない。
今年後半も依然日本経済は回復を続けるでありましょう。貴社のご検討をお祈りします。

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