世相
平成17年 正月
- 2005年01月
「オシフィエンチム」
と言って何だか判る日本人は恐らく殆ど居ないだろう。ポーランド南部の街の地名である。ドイツ語名「アウシュビッツ」。
実録映画で良く出る、鉄道の終着地で捕らわれた人達が降りるシーンは、ここアウシュビッツではなく、すぐ近くのビルケナウ収容所である。約五年弱の間に双方の収容所で二十八の民族(その殆どがユダヤ系)合計三百万人の命がドイツナチスの手により無残にも奪われたのである。
営業ですぐ近くの町に滞在する機会があったので、訪問した。観光と言う事は出来ない。我々人類が直近に起こした最大のあやまちへの学習だ。一帯は「働けば自由になる」とドイツ語で書かれた門や(ここに入ったら最後、いくら働いても自由になれる事は無かったのだが)高圧の電流が流されていた有刺鉄線、ガス室、銃殺の処刑場等ほぼ当時のままに残され、無料で開放されている。無料で多数の人に見てもらい、二度とこの様な事を起こさない様にという願いから開放されているはずだ。初秋のまだ日差しが強い午後、多くの見学者が訪れていたが、中でも目を引くのはイスラエルの国旗を掲げた若い訪問者の多数の団体であった。そう、ここで奪われた命の多くは現在のイスラエル人の係累である。
ビルケナウの収容所には共同トイレが残されている。千鳥に穴だけをあけ一直線に何個もの穴をあけただけのコンクリート製の、周囲に囲いのないオープントイレである。ここではまず来たとたんに全ての人間としての尊厳が奪われ、最後にいとも簡単に虫けらの様にして多数の命が奪われたのである。その殆どがただ単にユダヤ人であるという理由だけで。日本でも対抗する武家への徹底した粛清は過去沢山あった。戦いに勝った側が負けた側の一族係累を草の根を分けてでも探し出し、たとえそれが乳飲み子であっても徹底的に始末するというやり方だ。下手に残すと恨みを持つ者を残すことになり、将来自家に弓引く禍根を残すからである。敵対する者を根絶やしにするという手法は、下手をするとこちらが根絶やしにされる立場になるので、やらざるを得ず、多くの国でも歴史をたどれば似たような事例が数え切れない程沢山あるのだが、あの当時なぜユダヤ人をそれまでに根絶やしにする根拠があったのかどうか、これはただ単にヒットラーの方針であったのかも知れないが、一緒に暴走してしまった多くのドイツ人にとっては悔恨の極みである事だろう。民族対民族の争いは止まる事なく拡大する一方であり、アフリカの国々ではまさに民族対民族の粛清が横行している。イスラエルとパレスチナの紛争も収まりのきっかけさえ無くひどくなる一方で、この現状をヒットラーは地下からせせら笑いながら見ていることだろう。敵対する民族同士が和解するのは遠い過去から現在に至るまで本当に難しい。
「中国」
中国では自動車を汽車と言うが、以前の本項で、多分蒸気機関による自動車が最初に中国に入ったので自動車が汽車と言う様になったのではないかと推測して記載したが、中国では汽の字は揮発油をも指すらしく、すなわちガソリンで走る車という事で汽車になったらしい。やっと謎の一つが解けた次第です。
パリでもイタリアの諸都市でも中国の観光客がアジア勢では数量で圧倒している。服装と大きな一眼レフカメラとビデオカメラの両方を肩に掛けているのですぐそれとわかる。台湾やシンガポールのチャイニーズとは判別がつく。韓国勢も沢山居る。それと引き換え日本勢は少数派だ。経済事情を反映しているのであろうか。まさに中国はかつての日本と同様バブル真っ最中だ。
現在多くの中国の機械メーカーは1年になんなんとする注文残をかかえており、その殆どが内需対応の国内向けである。景気は上がり下がりを必ず繰り返すという一般概念からすると、当然中国の景気もいずれ下降線を迎える時が来るのであるが、恐らく北京オリンピックまでは政府は大幅な景気後退をさせない努力を必死でするであろう。怖いのはその後である。内需向けであった機械設備装置、あるいは自動車等も一斉に輸出に回る。中国以外の各国で安い中国製品とのつばぜりあいが起こる事は覚悟しておく必要がありそうだ。一時的である可能性は濃厚ではあるが、かなり大変な状況が二千十年頃に起こり得るのである。
「タイ・自動車産業」
昨年後半、タイメタレックスという機械見本市に出展した。年々規模が広がり、すでに翌年(今年秋)の小間は満小間だとか。日本の大手工作機械メーカーはこぞって最新機械を多数展示し、日本パビリオンが設営された。
自動車産業は部品メーカーの裾野が極端に広い産業だ。タイは導入した産業が自動車であって非常にラッキーだった。周辺の東南アジア諸国とは極めて異質な発展を展開していると感じている。
多くの自動車部品はもはやタイ市場だけでなく、近隣諸国への輸出へもシフトしており、タイ国内でどんどん増加する自動車部品の生産量の多くの部分が輸出である。日本で製造して輸出する場合とタイで製造して輸出するケースと、まったく遜色が無くなったのであろう。技術の裾野がどんどん広がっているが、実は日本の自動車部品メーカーがこぞってここへ出てきている事がその主要因である。日系企業は当然日本の工作機械を第一に選択するから、見本市も日本勢の展示スペースが広がるのも当然なのである。
「KTX」
昨年開業した韓国版新幹線である。コリア・トレイン・エクスプレスの略称である。首都ソウルから、大田を分岐として釜山と光州・木浦へ至る二路線がある。昨年私もソウル・大田間を利用する機会があった。最高時速三百キロを出し、ソウル・釜山間を三時間で結ぶ。ソウル・釜山間は四万五千ウォン(約四千五百円)と料金はめちゃくちゃ安い(もっとも韓国では、飛行機・タクシー・バス・地下鉄共、公共交通機関の乗車費用は日本と比べて飛びぬけて安い)。車内では、先ず韓国語の案内が放送され、続いて英語・日本語・中国語と続く(日本語と中国語は要点のみの放送)。
座席が回転しない固定座席で、車両の真ん中でご対面する方式であり、進行方向の後ろ向きに座ると気分が悪くなると、韓国国民には不評があるが、日本の成田エクスプレスもこの方式であり、我々日本人には特に大きな問題ではない。不評はともかく、内実は韓国国民のご自慢の種がまた一つ増えた事には間違いない。
日本人だからでは無く、客観的に残念な事が一つある。車両が日本の新幹線と比べ一回り小さい事だ。一般席は四席十五列、新幹線と比べ一列少ない。フランスから輸入された車両技術故、ヨーロッパ式で、プラットホームから車両通路へは階段で上がらなくてはならず、バリアフリーでは無い。キャスター付きの大きな荷物を持っているとしんどいし、日本の新幹線になれている日本人には特に違和感がある。些細な事だが、トイレや手洗いの水もペダルを踏むヨーロッパ方式だ。韓国のちょっとした工場でもセンサー式蛇口が設置されているのからすると先端技術を駆使した車両としては問題じゃないのだろうか?
日本の新幹線からみても、将来旅客数が増加するのは目に見えており、ほぼゼロから投資したのだから何故大きな日本の新幹線車両を選択しなかったのか、政治的な思惑が大きな選択要素であったとは簡単に判断はつくが、斬新な設備を見るにつけその選択の過ちを残念に思った。
「トイレ、その4」
日本のホテルと海外のホテルとを比較して画期的に違う設備が一つある。それはトイレだ。最近では日本では五千円代のビジネスホテルであってもトイレはウォッシュレットが常識だ。しかし海外のホテルでは五つ星クラスでもその設備はまったくと言って良いほど無しである。現状ではウォッシュレットの技術は日本の独断場、大事なお尻の真ん中をやけどさせる事のない最新細心の先端技術は日本の技術以外では製造不可能な部分ではあるのであろう。ただ、実はインドやインドネシア等では家庭も含め、ほぼ百%の普及率であったのを忘れていた。但しこちらは伝統的な手桶によるマニュアルハンドウォッシュレットであるのだが・・・。
フランスの郊外にオルレアンと言う街がある。ジャンヌダルクが生まれた街で、街の中心の広場にはパリに向かって進む彼女の騎乗のりりしい姿の銅像が立っている。顔立ちが凛として整っているので惚れ惚れする。
この街の近くの工場の中のトイレでとんでも無い物を発見した。しゃがみの大の方のトイレである。ヨーロッパは大は座りであるという基本概念を根本的に考えなおさなければならなくなりそうだ。ちなみに、やはり日本と違い百八十度回れ右してしゃがむ防御型スタイルで、便器は金隠し無しのいわゆるのっぺりした中国式。
「不評」
最近家族から不評をかう事が二点ある。一つは声が大きい事。もう一点はずうずうしい事。である。両方共加齢に伴い男女を問わず出てくる現象ではあると思うが、私の場合はちょっと背景が違っているだろう。中国とかインドとかとかく人口が多い国に商売に行く機会が多いと必然的にこうなってきてしまうのである。生存競争の厳しい国ではのんびりしていたらいつになったら順番が回ってくるかわからない。並ぶ列にしてもぴっちりと前にくっついていないと割り込まれる。たまにこっちも割り込みをしてやらなければ待ち時間の短縮が出来ない。最大限自己主張しないと無視される。大きな声でそれも怒った様に、である。電話にしたって、打ち合わせにしたって声の大きさは商談の風向きを変える大きな要因にもなる場合がある。韓国では口論となると、口論の問題点はさて置き声の大きい人が勝ってしまう事が良くあるらしい。たとえその人が悪くても、である。ミスターエノモトはもう五十%インド人だ、と最近懇意なインド人達に言われる昨今である。家族から不評をかうのも仕方なさそうだ。
「人生」
人の一生は一回きりだ。やり直しはきかない。私は極めて現実主義なので、来世なるものは一切信じないし、死の瞬間はテレビのテストパターンがプッツンと消えるが如くなにもかもが無くなってしまうものだと心得ている。生きる事は食べることだ。我々は、我々の両親の時代の食べる物に欠く様な時代に育っていないので、人生が何たるかを良く判らずにのんびりと過ごしてしまっている場合が多いのである。現在の飽食の時代に、明日炊く米に事欠く時代の事など想像することは無理だ。現代は不足が無いという大きな不満が渦巻く時代でもある。
人生人それぞれ、育った環境により違った伸び方をするのであろうが、過去一度、有り難いという感謝の気持ちをもてない子供を雇った事がある。中卒で入ったが、数年で辞めていった。色々面倒を見てやったので、侘しかった記憶がある。恐らく幼少時育った家庭の環境によるものである事は間違い無い。
たくさんの失敗を許していただいている弊社は毎日が感謝・感謝である。許し許される、感謝する。勿論程度が厳然として存在するのではあるが、出来得れば人をなるべく許す事のできる感謝に満ちた心豊かな人生を過ごしたい。
人生の軽重は、出会いの多さに比例するはずだ。最も大きな自己で選択する出会いは伴侶であり、そしてその間に出来る子供達だ。子供たちの成長の過程で一緒に生活して体験する悲喜こもごもの思い出は、胸の奥底からじんわりと沸き上ってくる涙腺をも刺激する暖かい思い出である。子供を持つ事は絶対に人生を豊かにする。そして学校、仕事、余暇、たくさんの人とひととの触合いはさらに又人生を豊かにする。人生はチャレンジだ。修羅場をいくつくぐったかで人の重みが増し、当然価値が決まる。チャンスはたくさん作り、それにチャレンジし、決してあきらめず前に進む。百獣の王ライオンが我が子を百尽の谷に突き落とす・・・とはあえて親が子にあたえる修羅場である。谷から這い上がれなければ修羅場続きの厳しい大地の生活を送る事が出来ないから、早くから淘汰して始末してしまった方が食物分配の効率が良い。食うか食われるか、小さい時から試される。豆腐の様に骨のない最近の新卒を修羅場に落とすのは、あまりにもショックがきつ過ぎて逆効果であるかも知れないが、弊社では事ある毎にそれなりのショック療法を施している。インドあたりの出張も連れていって、帰りは国内線乗り継ぎで一人で帰させたりしている。自分が困るので、金曜の社内英会話教室もけっこう必死でやっているのである。
「スクリュープレス」
私用で夏にイタリアの都市を数箇所家族と回って来た。ローマバチカン美術館でとんでもない展示物を発見した。マンパワー方式のスクリュープレスである(写真)。これはちょっとした感激の対面であった。仔細に見るとスライドのストローク長さが極端に短く、恐らく万力の延長線上で作られたものと推測した。ねじを回すフライホイールは一直線の長い棒で、これも万力を感じさせる。ただねじのリードは大きくセルフロック・クランプする事は無さそうで、やはり灼熱した鋼材をじわりじわりとつぶす鍛冶屋の道具として製作されたのであろう。驚く事にその後ベネチアの王宮のコーヒーショップの横にも同様の物が飾られてあるのを見、おそらく教会や王宮の沢山の扉金具や窓飾り等を鍛造したり、修理する鍛冶職人がお抱えで雇われていたのではないかと推測した。
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最近は日本でもエクステリアの特注品を手作りで鍛造する仕事が増えているらしく、小型の手動スクリュープレスの中古機を何台か販売した。もう使い手が国内では消え、弊社の製品故引き取ったものの、そのままではさびて朽ちてしまうので東南アジアに送ってしまおうかとしていた機械だ。買い手は若い人達だ。職人の世界に若い人達の目が向きつつあるのは嬉しい限りだ。
日本の産業が生き残れるのはこの職人技の領域である可能性が高いのであるが、鍛造にしろ金型にしろ若い人達がどれほどこの職人の分野でがんばってくれるかが今後の日本の生き残りの大きなポイントとなる。
弊社ではとんでもないお釈迦や失敗の繰り返しに懲りる事なく、今年も沢山の若い連中の育成に努力して行くつもりでおります。おかげさまで沢山の注文残を持っての新年となり、感謝の一年が又始まりました。貴社のご繁栄を祈念します。