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世相

平成16年 夏

  • 2004年08月

「靖国神社」
 ドイツは二度の世界大戦を起こした責任と、アウシュビッツで代表されるユダヤ人虐殺等への反省から、第二次世界大戦を引き起こしたヒットラーを筆頭とした当事者に対し、戦後徹底的な戦争犯罪責任を負わせ、その毅然たる行動を世界に問うた。
幸いと言ってよいのかどうか判断に苦しむが、我が家の家系には第二次世界大戦で戦没した係累が居ない。戦争末期に乙種合格で北支に駆り出された父も現地で終戦を迎え無事に故国の土を踏み、結婚をし、現在の私が居る。
 他方、一銭五厘の赤紙一枚で南方に駆り出され戦没された方々。戦後ロシアに抑留され極寒の地で亡くなられた方々。有為ある前途を残したまま敵艦に体当たりした若き特攻隊の方々。広島や長崎での原爆被災者の方々。空襲で亡くなった方々。悲しみや苦しみを身を持って体験された多くの遺族の方々がまだ多数生存されているのであるが、一体そのご遺族達は、戦争を起こした人々をお許しになっているのであろうか? 私個人は、係累に戦没者が居ないので、参拝する事もなく意識する事も必然的にないが、被害者と加害者が一緒くたに合祀されている靖国神社である。
 戦没者ご遺族がもしお許しになっているのであれば、私は個人的にあまりに寛容すぎはしまいかと思うのであるが、このコメントに対するご批判はお受けしたい。

「教職?」
 海外展開が加速度を増している弊社では、必然性から毎週金曜終業後にアメリカ人教師を招いて英会話教室を社員に無償で提供している。基本的に自由参加だが、若手は将来を考えて半ば強制的に参加させている。弊社の様な中小企業では出来の悪い者もやむを得ず雇わざるを得ないが、工業高校を卒業している社員に小学校レベル以下の英語力の者が居て、苦慮している。幸いやる気はあるので、毎週個人的に私から宿題を出していたものが、当初まったく宿題をやってこない。聞きただしてみると、小学校からこのかた一回も宿題という物をやった経緯が無いという豪の者だった。宿題という物は別にやらなくても良い物・・・という常識?が今まで通用して来てしまったらしい。教師も半ば諦め責任放棄していたのではあろうが、しかし最近はちゃんと宿題をやってくるのである。ゆとり教育とかなんとか言ってピントが外れていたのが、最近は現実に即して教育現場も改善しつつある様だが、先だって、生徒指導で昼休みがきちんととれず、調査の上、昼休みの取れなかった時間への給料を請求する訴訟をどこかの学校の先生達が起こすという新聞記事を見たが、ならば教職など辞めて民間企業で働いたら、と言いたいところだが、実はこの手の連中は民間企業でこそ使い物にならないデモシカ先生なのである。

「ザ・ラスト・サムライ」
 アメリカで製作された映画である。助演男優に、渡辺謙。他真田真之や小雪などがいい演技をしている。明治天皇が出ているので、政府反乱軍になる渡辺演ずる勝元はさしずめ西郷隆盛なのであろうか。アメリカは時々この手の文化的に自国にないエキゾティックな映画を製作する。アラビアのロレンスもしかりである。今何故日本文化の映画なのか。世界貿易センタービル崩壊のあの事件以来アメリカの異文化に対する理解が必要とされている。本来イスラム諸国なのだが今は支障がある。まず手っ取り早く、いくら倒れてもまた起き上がる同盟国、依然行動規範にアメリカの物差しが当てはまらない、不思議の国日本のサムライ映画がまた製作されたのではないかと、切腹介錯シーンの時ふと思った。

「続・続トイレ」
 インドでのトイレも極めつけの領域に達してきたものだ。毎月行っているのでいつだったか忘れたが、ムンバイだかどこかの国内線の空港で「大」を催しトイレに急行し、しゃがみ式であったので過去の失敗を繰り返すまいと、入ってからしっかりと回れ右をしてしゃがみ、用をたし終わった。事後の爽快感にゆったりと浸る間もなく、とんでもない事に気がついた。ティッシュを忘れたのだ!万事休す、運の付かないものだとヤケクソになってももう後の祭り。さてどうしたものかとしゃがみながら思案する私の目は、目の前のインド人用ハンドウォシュレットの為の手桶に釘付けになっているのであった。

「インド」
 下手をすると月に2回もインドに出かけているので、最近はホテルもそこそこのレベルのところに押しとどめている。
 ニューデリーで定宿にしている地元系ホテルに宿泊した際、夜、朝食をとる時間を聞く電話が部屋にかかってきた。スティッキーライス(インド式のポロポロご飯でなく日本式のべとべとご飯)を用意しておくと言う。翌朝、本当に日本式ご飯を出してくれた。過去このホテルは朝食にインドご飯もお粥も無かったからびっくりしたものだ。
 やたらサービスがよくなったので不思議に思ったが、はたと思い当たる事があった。その直前に泊まった時にアンケートを是非書いてくれというので、備考欄に「朝食はライスが欲しい」と書いておいた。日本人用に日本式のべとべとご飯まで用意してくれたサービス精神の周到さには脱帽したが、ここでもはたと思いついた事があった。インド人は自分の摂る食事の内要に関して非常にうるさい国民である。ベジタリアンであれば選択肢が狭まり、出す側も失礼が無い様にかなり気を使う必要があり、実際インドではそうしている。機内食のリクエストもインド人はかなり言いたい事を言うらしいが、大概航空会社は用意するらしい。日本人に日本人好みの食事を用意して出すのも、インド人ならではの特に珍しくもないサービスのひとつだったのであろうと、一人で納得した次第。

「芸と工」
 故・清家正。設計製図学の大家で、一般の製造工場活動の全てはシステムだった図面のみがコントロール可能であるとの結論から派生し、生産工学と言う言葉を創設した。
 工場の親爺の勘による采配を近代的明瞭な誰にでも理解できるシステムにした。過去の工場は、芸術(芸)であり、進むべき近代的工業(工)からはっきりと袂を分かつ手法を現場で使用する図面をもとに編み出したのである。
 インドの辺鄙な工場に行っても、カイゼンとか3S、5Sと言った日本の生産システムの波及を見る事ができ、品質管理表なども自慢げに見せてくれる昨今であり、日本人としては実にこそばゆいところである。確かに高度成長期は工場の即戦力確保の為、多数のマニュアルが作られ多数の忠実なマニュアル人間を促成栽培して工業力向上に貢献したものだ。それだけではロボット人間であるのを、改善・提案活動を通していつも前に進む工夫をしたので日本の工業技術力は他に類を見ない発展をした。
 だが待ってくれと言いたい。日本はこの10年で更に又奥に進みつつある気がする。それは、芸への回帰、職人への回帰である。
沢山の諸工業が海外に移動して行ったが一部逆戻りしているものもある。それは何か、数字で示されるマニュアル通りでは解決できない職人技の領域である。高価な装置を使わなくても、金属表面のミクロン台の傷や段差をぴったりと探り当てる指先の感覚など、マニュアルで示されるわけが無い。この領域の衰退が無ければ日本はまだ当分大丈夫。この十年の厳しい時期にしっかりと研究開発した新しい工業技術と職人の技がミックスすれば世界中日本にかなうものは無いはずだ。
 しかし気になるところもある。職人の技をどう若年層に伝えて行くかだ。少なくとも十年はかかるであろう職人の技の伝承を確実に若年層に伝える事が今後の日本の衰退に影響するのは確実だ。最近工場に行って気がつく事は、図面に記載されていないいわゆる職人の心配りの部分がどんどん失われている事だ。機械加工や組立時のちょっとした心配りがシリンダーのパッキンの寿命を大幅に伸ばしたり、摺動部の磨耗を防いだりする。それが世界に冠たる日本製品の故障率の低さに貢献して来た、この職人の心配りを決して失ってはならない。

「タイ」
 タイで買う航空券は飛びぬけて安く、インドへ行く際はいつもタイ経由にしている。チケットを買う都合から先日、土曜にバンコクに入り日曜の休日を夕方の移動までバンコックで過ごし、暇つぶしにアメリカ映画を見る事にした。飛行機機上ではしょっちゅう見る映画も、劇場で見るのは久しぶりで迫力がやはり違う。上映開始、日本と同じ様に予告編や宣伝がひとかた済んだところで、急に全員が起立をしたではないか。その瞬間、上映の場所変えでもあるのかと勘違いした。横の人に促され、私も立ったところで、国王を敬う映画が始まった。誰も座っている人は居ないし、突然全員が誠に自然に起立したものだが、心から感動したものだ。こんな光景は世界でタイだけじゃないだろうか?国民の殆どが、強制される事なくごく自然に国王を愛し、尊敬している。権力の乱用は無いが、国王の意思は絶対的でどんな政治家も逆らう事が出来ない。国民に絶対的に愛されている国王であるから、国王を敵に回す事は国民の全てを敵に回す事になる。独裁をしようと思えばできるのだがしないから国民の尊敬を一途に受けるのであろうか?そもそもその前に、国民が王室を愛し敬うというベースがあるのであろう。国王と国民の信頼関係は隙間も無い程密着している。世界的にも類を見ない国、タイランドの重要な一面を垣間見た。
 タイから始まった通貨危機の前、当時タイでは賃上げ闘争のストライキが頻発していたが、昨今またこれが復活しているらしい。タイは二度と沈まないと多くのタイの産業人が言っているが、経済が活況を呈しているからもちろん物価は上昇傾向にある。ホテル代もちょくちょく値上がりを始めた。だから賃上げ闘争も肯える現象とも言える。日本国内では素材の価格が数度に渡り値上げである。鉄板・鋼材・非鉄金属・鋳造品等。もちろんその二次製品であるボルト類、溶接ワイヤー等も値上げだ。ガソリンの値上がりがそれに拍車をかけている。タイでは大方の特殊鋼は日本等からの輸入に頼っているが、賃上げ・材料費値上げの反面、自動車会社に納める製品の単価は依然値下げの要求らしい。両方から攻められて赤字決算が続けば海外に出たメリットはなくなるかもしれない。駐在の日本人はぼやくことしきりだ。賃上げ騒動の矢面に立たされるあの悪夢の再現がまた起きはじめている。

「スリ集団」
 1月から2月にかけてインドムンバイで、インド国際機械展(IMTX 2004)があって弊社は他の上場機械メーカーに精一杯伍して実機プレスを展示しての参加となった。昨年前半は、受注もパッとせず、在庫を作るなら展示会で売れそうな機械を作って展示してみようかとある種の投資感覚で出品したが、予想通り機械は売却でき、見返りは預金口座に戻ってきた。作戦は大当たりでハッピーな終了と思いしや、海外出張では始めての格闘まがいの武勇伝を演ずる事となったのであります。
 スリその一、展示会二日目だったか三日目だったか、午後六時の閉場に合わせ、会場ゲートから外にで、地元商社の車に乗ろうとしたその時だ、突然三~四人の怪しきインド人が私の荷物を持って車に入れてくれる振りをしてドッと寄って来た。よくホテルの玄関等ではドアボーイが手で持っている荷物を車の中に入れてくれるがそんな感じである。胡散臭い連中が居ると警戒していたので、荷物はしっかりつかんだが、右の尻ポケットの財布めがけて手が進入。幸いな事にかの手は財布を握る事なく、その内側の私のふくよかなお尻をさすったものだから、瞬間に大声をあげ(痴漢と叫んだかどうだか記憶にない)振り向き、商社の連中が駆け寄って来たものだから、スリの集団は蜘蛛の子を散らす様に一目散に退散し、事なきを得た。
 スリその二、翌日は昨日の事もあり十分に背後を注意しながらゲートを出る。隣の小間の年配の日本人の会社が同じインド商社の扱いなので一緒になり、十分注意する様に声をかける。この日はゲート前の車が恐ろしく多かった為、インド人商社員が道路向こうの駐車場に行こうと先に横断をし始めたので、嫌な感じがしたものだが、この日本人と横断を始めた。駐車場に向かう最中、目つきの怪しい四~五人の集団が斜め後ろからついてくるのに気づき、気になったので年配の日本人を二メートル程先に歩かせた。するとかの集団が私を追い越しざま、突然年配の日本人の両足に組み付き始めたので、これは始まったと後先も考える間もなく組み付いている連中の尻めがけて後ろからめちゃくちゃに蹴りを入れてやった。周囲の二~三人にもたてつづけに蹴りをいれたところ、予想しない反撃にびっくりしたのかあっと言う間に退散してしまった。とっさの判断で被害無し。聞いたところによると、韓国勢は同様な手口で財布をやられたらしい。
 教訓、財布にはクレジットカードを入れて持ち歩かない。現地通貨、盗まれても泣かない程度しか持ち歩かない。弱い者を先に襲うので、後ろを歩かせない。必要以上に反撃しない。さっと逃げた手口からプロ集団では無かったのかも知れないが、貴重な経験をさせてもらいました。



 「インドネシア」

 昨年十二月にジャカルタで開催された機械展示会に出展しておもしろい事に気がついた。小間に来て、弊社プレスに興味を持って話かけてくるインドネシア人の多くが日本語を喋る事だ。彼らの多くは短期・長期日本での滞在経験がある。いわゆる工業部門での日本とのつながりを強く感じた。政治の紆余曲折の影響を受けながらも、インドネシア経済は着々と回復している。

「海外出張」
 ここ十年以上にわたる海外マーケットの開拓が功を奏してか、海外での商談が激増してきている。このままでは一人での守備が不可能になるので、目下社内では若手社員に英会話の特訓中である。かく言う私は、呼ばれれば断らずついつい応じて出張してしまうので、最近では月に三回も四回もとんぼ返りの海外出張をこなしている。月内の三分の一も社内に居ない事が多い。父親から事業をバトンタッチした時から、私は自分で発行する見せ金である手形が嫌いで弊社仕入れは全部現金取引しているので、月末の手形決済に起因する心配事が一切ない。月内のある時期に支払いと、給与の振込み決済をするだけ良いのだが、これも最近はインターネットによる電子認証をしているので、最悪の場合でも海外から支払いの決済が出来る。印鑑を押しに会社に戻る必要が無い。従って身が軽い。
 CDやDVDが本体にすっぽり収まる、プレス加工されたマグネシウムボディーのご自慢のラップトップパソコン(弊社のプレスで加工されていないのがくやしい)には、過去十年の見積書、見積仕様書、技術データー等がぎっしりと収容されていて、どこに居ても引き合いがあれば、その場で即座に見積書や技術資料を作り送る事ができる。PHS・PCカードアダプターがあるから国内はどこでもインターネット通信可能、また海外では、iパスコネクトから現地最寄のプロバイダーに、ホテルの部屋の電話から現地国内通話料金で接続し通信できるので、社内に居ようが、国内出張していようが、海外出張していようが事務処理は大差なく出来ている。長期海外出張から帰国しても出張中に案件の殆どは処理してしまっているので、残務整理は二日あれば全部片付いてしまっている。便利な世の中になった。留守の事務所に届く手紙やファックスはスキャニングさせてeメールの添付書類で送らせているので、最近は出先でのファックスの使用はゼロに等しくなった。ファックス書類は言い方は悪いかも知れないが、屍だ、その点、メールで送られてくる文書データーは生きている、料理できる。私は現在その最大の利点を生かし、世界どこに居ても滞在地のホテルと国内の事務所とを同じにしてしまっている。
 懇意にしている乙仲会社の方から、海外携帯電話器を購入する事を勧められた。アジア地区は日本と韓国を除くとGSMという携帯電話システムである(ヨーロッパも)。一万二~三千円で携帯電話装置をこれらのどこかの国で買い、一センチ四方のシムカードと呼ばれる小さなカード(これがその地の携帯電話番号になる)を買い電話機に挿入し、プリペイドの通話料をチャージしておく。国ごとにシムカードが必要だが、到着後カードを差し替えれば即携帯電話が使え、まことに便利な上に安価である。これで海外出張も完璧だが、のんびりできるのは飛行機の機内だけになってしまった。ただこれも時間の問題の様だ。いずれ飛行機の座席まで重要案件の決済やクレーム処理が追っかけてくる事になりそうだ。



「オーバースペック?」

 韓国で懇意にしている会社の会長は私より年が一回りも若いにも拘らず、同業他社から社長をヘッドハンティングして自らは会長となり、悠々自適の毎日を送っている。貧乏会社の現役社長の私からして見ればどうかなっているんじゃないかと、羨望を通り越し、韓国大丈夫なの?と思ってしまう昨今である。その若い会長が、トヨタのレクサスに乗りたいと言う。自分は韓国製自動車の運転手付きのリモジンカーに乗っているのに、である。このリモジンの内部スペースはレスサスより断トツ広く総革張りで豪華だ。何故かという質問の返答は、レクサスはメンテナンス費が殆ど必要無いからという事だった。
 とかく日本の自動車部品はオーバースペックで下請けの部品メーカー泣かせという悪評があるが、どうもこんなところが日本車の修理不要、長寿命の要となっている気がする。納入部品の仕様を満足させる事は大変かも知れないが、これがきっと日本の自動車産業が世界トップとなりつつある要因である気がする。大変であるのは判っているけれど、日本の生き残りの為にはがんばっていただきたい。三菱自動車もいずれ三・四年後には不死鳥の如く蘇るはずだ。職人先進国、日本の面目躍如を祈念したい。



「ジャパン フライ アゲイン」

 今春のアメリカの雑誌の見出しに書いてあった。昨秋から景気の再浮上がひしひしと感じられる。足下からじわじわと昇り来たる、体中にしみ渡る久々に感じる心地良い暖気だ。
 日本再飛翔、とでも訳すか、もう大丈夫、あまり急上昇せずゆっくりと時間をかけて上昇したいものだ。体質の悪い企業はあらかたは退場した。我々装置産業で言えば、財務体質が悪くなく、技術力、開発力のある会社が生き残った。しぶとく!を付け加えるべきだろう。素材費が高騰し、買占め傾向にあり、まさかあのトイレットペーパー・洗剤不足の二の舞を演じる事はないではあろうが、若干気になるところだ。買占めが物不足に拍車をかけつつある。冷静になって判断してもらいたい。
 今、十年来の苦節と努力が実り、蟠龍が飛龍となる。まさに ジャパンフライアゲインだ。
もう大丈夫、今年後半の貴社のご健闘をお祈りします。

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