世相
平成30年 正月
- 2018年01月
世相日本世界感じるままに 榎本機工㈱ 社長 榎本良夫
「休める会社」
オリンピックに出場する選手に休日があるのだろうか? プレミアムフライデーにして、残業ゼロにして、土日完全に休んで、果たして若い人達が余暇の時間を有効に使うのであろうか? 何するでもなくごろごろと怠惰に過ごす時間が果たして人生にとって有益なのであろうか? 強い目標を持った者に余暇の論議は無いであろう。しかしながら強い目標を持てる若者の数は少ない。目標を持たせる、それに向って自己を磨く。あるときにはチームワークの醸成研鑽である事もある。過重労働問題により、最近の論議は休む事ばかりに向かい不毛だ。人生のなんたるかを語る事が少ない。人生のなんたるかがはっきりしさえすれば休みの論議は無くなる。
「排除して悪い?」
言葉はきつかったのではあろうが、希望の党小池党首の考えに間違いは無い。前原氏の、手段は何でも良いから、まず自民党政権を倒す、というのも変な話だ。政党と言うのは考えが同じかほぼ同じ人達の政治集団であり、その政治集団の中で最も人数の多いものが基本的に国政を担うのである。どうしても多数決、数の世界となる。ただの数合わせだけでまずは最多の集団を作り、その後で国の運営方針を決めようなどという魂胆に多くの国民は翻弄されなかった。極めて真っ当な衆議院議員選挙の結果で、多くの日本国民の理性と良識がまだしっかり存在している事に気を強くする事ができる。まだ当分日本は大丈夫だ。
「偽米ドル」
都内の金券ショップなどで偽100ドル札が多数見つかった。偽札鑑識装置をすり抜けた物も店員が手触りで発見したという。いずれ近い将来、紙幣も貨幣も無くなるのであろうから、偽札?そんな犯罪も昔はあったなーなどと言う昔話にはなるのであろう。 手触りで偽札を見つける、訓練された人間の五感は最新鋭の検査装置より優れている。将来の日本が目指すべき一つの大きな技術指標だ。いずれAIとロボットは多くの人類の仕事を奪ってゆくのであるが、ロボットが人間の五感を備えるのはまず当分は無理だろう。すばらしい五感を備えていればロボットに仕事を奪われる事は無い。音・観察力(見る)・動き・温度・臭い・触覚、味覚、、、、
「モスクワ、ダイドードリンコ」
モスクワの展示会ではほとんど短期借用のアパート暮らしなので気がつかなかったが、昨年11月に商用でモスクワのホテルに宿泊した際、ダイドードリンコの自動販売機が各階にあるのにびっくりした。
装置は日本の物と同じ、売っている飲料も全部日本製で、ロシア語でなんの飲料であるかの説明札が置いてある。自販機の前面には、「日本から」、というロシア語のコメントが記載されている。価格は平均100ルーブルなので日本の大体2倍。売れているのかいないのかは良く判らない。公園や、展示会場にも置いてあるのを見つけた。恐らくダイドーが何らかの契約をして、全部持って来ているのだろう。
「モスクワ、地下シェルターレストラン」
モスクワで長くつきあっているセルゲイが面白いところで食事をしようと、地下シェルターのレストランに連れて行ってくれた。
旧ソ連の時代に作られた、地下60mにあるシェルターで、入り口は普通の建物が並ぶ街中の、普通の建物に、誰もそれと判らない様に存在している。2004年に博物館として解放されるまでは一般の人は誰も知らなかったらしい。レストランは2014年に開業した。地下鉄工事と平行して作られたので、市民は誰も判らなかったという事だ。トンネル状のシェルターは、環状に鋳込んだ鋳鉄をボルト締めして補強してある。東西冷戦時代の核戦争を想定して作られた物だが、もっぱら政治家や軍の幹部が逃げ込む為に作られたのであろう。ここだけか?と聞いたら、誰も判らないそうだ。もっとある可能性はある。博物館の見学コースがあり、ロシア語だけの説明付きで案内人が案内してくれた。キューバ危機の時が最も核戦争が起きる可能性があった、と説明されていた。アメリカの目と鼻の先にあるキューバにミサイル基地を作ろうとしたのはロシアであり、すでにミサイルを積んだ船は洋上にあった。それを、いかなる手段であっても排除すると対抗したのが時のアメリカ大統領ケネディーである。ミサイルを積んだ船をロシアに戻したのは時のロシアの首相フルシチョフで、彼がキューバにミサイル基地を作ろうとした。私が小学生の頃だが、当時の政治家達は核戦争のボタンを押す事を何とか回避したのである。
「地球はあと100年」
物理学者のホーキング博士は持論であった地球の寿命予測1000年を大幅に下方修正して100年とした。多くの紛争が世界戦争を呼び起こし、核戦争の可能性を予測しているのであろうか。
「浙江省、お墓」
中国浙江省の海岸の多くは山が迫っていてその山の中腹には海を望む様にお墓が点在している。沖縄や台湾でもよく見かける形のお墓だ。内陸部の畑の中に土葬してしまう様式とは異なっている。お墓の形一つ見ても、海を隔て、古来、人が行き来し文化の伝播があったことを証明する。延暦寺を開いた最澄も、高野山金剛峯寺を開いた空海も日本から東シナ海を渡り、浙江省の寧波や温州にたどり着き、その後延々と陸路を唐の都長安(現在の西安)まで行って仏教の学問を深め、また延々と来た道を日本に戻ったのである。沖縄には「ニライカナイ」伝説がある。遠く海の向こうに神の住む国があり、祖先はそこからやってきたというものだ。太平洋と東シナ海に面した沖縄の、そのニライカナイは多分太平洋側では無いだろう。中国大陸のはずだ。
「瑞麗航空」
中国瀋陽から温州というおよそメジャーでは無い航空ルートを瑞麗航空という飛行機に乗るはめになった。広い中国ではやむを得ない場合がある。瑞麗という場所はそれこそミャンマーに近い中国の一地方都市であり、どうやらここを拠点にしているLCCである事が乗ってみてわかった。瑞麗からすると、温州も瀋陽もとんでもなく離れた場所に位置する都市である。なんでそんな地方都市の航空会社が位置的に離れた都市間を飛ばしているのか不思議だが、恐らく瑞麗~温州~瀋陽のルートを確保しているのであろう。ところで満席なのである。人口の多い中国だから、と理解出来る。極端な地方都市を結ぶ航空ルートも需要がそれなりに存在しビジネスが成り立つのであろう。
「インディゴ、荷物・悪態」
エアーインディアやジェットエアウエイズの従来からある航空会社を差し置いて、インドでもLCCが増えている。インディゴはその1社。CAはモダンな欧米型のユニフォームで帽子もかぶっている。インディゴのチェンナイ発プネ行きのチェックインカウンターの若い女性スタッフは良く訓練されている。弊社の現地契約社員とチェックインするが、まず預け入れ荷物はX線チェックを受け、検査済みシールが貼られてからチェックインカウンターに来る。カウンターのレディーは預け入れ荷物を計量ベルトの上に乗せる前に、機内持ち込み荷物をまず乗せて下さいと言う。そして機内持ち込み重量オーバーなので預け入れ荷物の方に重い物を入れ替えろという。そもそも手持ちの荷物の重量が少し多いので機内持ち込みに多めに荷物を入れておいたのだが仕方が無い。スーツケースに荷物を入替えまたX線チェックを受けカウンターに戻る。今度こそは預け入れ荷物を計量ベルトに乗せる。そこで推測通り重量超過なので差額を支払えと言うのである。凄い!逃げ場を全部遮断しておいて差額を徴収するというわけだ。頭にきた弊社契約社員がそこでいちゃもんをつけ始める。大した重量オーバーじゃないからまけろ、いつもインディゴしか乗らないのに(カウンターレディーが判るはずがない!)ひどい仕打ちだ。もう乗ってやらないからな(また乗るに決まっているのに!)と、傍から見ているとインドならではの面白い掛け合いが始まるのである。ミスターV, 仕方無いよ、無理だよ。これがLCCだ。大した額じゃないから私が払うよ。となだめるのである。これがLCCの宿命だ。悪態はいくらついても無駄なのである。
「インド、クッキー・卵」
インド北部、デリーから北、車で6時間ほどのルディアナにあるとある商談先。インドでも評判が良い日本のクッキーズを手土産として差し出した。「卵が使われていませんか?私はだめなのです」と受け取ってはいただけなかった。確かに牛乳やバターや卵は入っている。彼は完璧なベジタリアンだ。卵もダメだ。牛乳やチーズ、バターなど乳製品は大丈夫なのである。どうやら生きている物、これから生きる事が出来る物は口に出来ないらしい。もっと完璧なベジタリアンになるとベジタブルであっても根菜や芋など育つ物はダメらしい。ため息をついてしまう。一体この人達は何が楽しみで生きているのであろうか?
「エアーインディア、CA」
インド最大の国営航空会社エアーインディア。その女性CAのユニフォームがいよいよ伝統衣装のサリーからモダンな洋服に替わった。これで超肥満のおばさんCAは仕事が出来なくなるに違いない。サリーはかなり肥満でも着るには一切支障がないが、洋服はそうは行かない。サリーは片方の脇腹が空いているので、そこからだぶついた脇腹の贅肉がだらりと下がって出るのであるが、そのおぞましい光景も見ずに済む様になるのだろう。前の項のLCCでは持ち込み荷物の重量制限を記載したが、私はLCCでは体重もカウントに入れるべきだと思う。同じ飛行機に乗るのであるから体重+荷物標準にしないとフェアじゃない。CAだが、ウエイトオーバーであれば航空機の燃料効率が悪くなる。客からすればスリムになってもらう必要はあるだろう。
「インド禁酒法?」
昨年夏いつものホテルのいつものレストランでビールを注文する。しかし出せなくなったというではないか。国道から一定距離以内のホテルのレストランはお酒を出してはいけないという法律ができたのだそうだ。運転手が飲んで事故を起こすからだというのが立法の理由らしい。道路から一定距離離れたホテルでは適用されない。面白い国である。根拠がでたらめである。このため、ホテルの入り口を国道から遠くに改造したホテルもあるらしい。入り口基準らしい。グジャラート州の様にいまだ禁酒の州もあるし、列車バス飛行機ではアルコールは禁止されている国だ。こんな面白い法律も出来るのだろう。
「ミャンマー、期待外れ」
10月、マニュファクチャリング・ミャンマー展に出展した。ミャンマーの展示会も4回目だろうか。会場の場所は変ったが、建物はどうも同じな様だ。大きなドームテントでどこにでも移設出来る。展示を手伝ってくれたSさん。もうスーチーさんの批判ばかり。軍政時代から比べて何も変らないばかりではなく、治安はかえって悪くなった。もう元に戻って欲しいという。レイプが非常に増えているらしい。バングラディシュ国境近くに住む少数民族のロヒンギャの問題も陰を落とす。ミャンマー人からするとロヒンギャはバングラディシュ人で勝手に越境してきた人達。バングラディシュに帰って欲しいというのが趨勢の様だ。ヤンゴンでは決してロヒンギャと言わない様にと釘を刺された。今ミャンマーの主要都市ではどこでもテロが起きておかしくないと言う。弊社のお客様は数年前にヤンゴン郊外に工場を設けたが、昨年撤退してしまった。労働者が働かないのだそうだ。ベトナムにも工場があるが、両方の工場とも労働者から要求は色々出るが、ベトナムは要求をのめば仕事はする。しかしミャンマーは要求をのんでも働かないのだと嘆いていた。くだんのS氏もその工場は良く知っているので残念がっていた。ベトナムとの比較話についてはどうもその通りらしい。長い軍政の施政下で、若者が働かなくなってしまった、と言うのである。ようやくミャンマーの東方も赤みがさしてきたのかと思ったのではあるが、どうも色々と問題が山積みの様相なのである。
「タイメタレックス」
バンコックの国際展示会場BITECで毎年11月に開催される総合機械展に弊社は今年も参加出展した。
かれこれ弊社の出展も15回目ほどになる勘定である。昨年は前国王の死去に伴い黒く暗い展示会であったが今年は喪が明け、再び活況を呈する展示会になったと感じられた。20年ほど前の交通渋滞と同じ様な様相を呈してきた。道路のみならずBTS(モノレール)も大混雑で、展示会場に向う車両は10台ほど見送らないと乗車できない程だった様だ。地方からの人口流入が加速しているのであろうか?景気がまた良くなってきているのであろうか?引合いも自動車部品に限らず、航空機や医療など従来とは少しニュアンスの違った業種展開が図られようとしている。タイもいよいよ変わり目を迎えている感じがする。
「オートメカニカ上海」
11月後半から12月にかけて開催されたいわゆる中国最大の自動車部品展に今年もジャパンブースの神奈川県の小間から出展した。
上海虹橋空港の真西にある広大は国家展覧会場での開催である。
なにしろ広大な会場で、有明ビックサイトの4倍はあろうかと思われる。中国国内を走る自動車は、フォルクスワーゲンやベンツ、BMW, GM、トヨタ、ホンダ、現代自動車など外国ブランドが多くを占める。中国がくやしがっている事は想像に難くなく、これに対するリベンジとして電気自動車の開発が陰にかくれて精力的に実施されているはずだ。あるとき一挙に中国が電気自動車になってしまう可能性が否定できないのである。すでに2輪がそうなりつつある。何でも有りの中国であるから、注意をしないとならないであろう。悪くなる悪くなるといわれ続けているのだが景気は一向に悪くならない。ここは強力な国家主導の国であるから破綻する自由も拘束されると考えても良い。国土は日本の24倍、人口は10倍。景気が10倍悪くなっても日本の今と同じと考えても近くとも遠からずなのである。
「マニュファクチャリングインドネシア」
11月から12月は立て続けに海外展示会が続き、私もシャトルの様に行ったり来たりの寅さん稼業となってしまうが、これが社長の努めでもあるからやらざるを得ない。展示会は潜在的顧客にお出でいただける。一国の各地を歩き回るより余程効率が良いのと、その国の潜在的顧客だけではなく他国の潜在的顧客に出会えることもしばしばある。
うら寒い上海から今度は半袖のジャカルタだ。マニュファクチャリング・インドネシアに出展した。
インドネシアも大方の東南アジア諸国と同じく今ひとつパッとしない。
自動車と2輪の生産台数が減少しているので決して良い景気とは言えないが、そこそこの台数の機械装置が売れている分野もあるという事だ。中国と台湾勢の出展者数が圧倒的に多く、中国の展示会に来て居るような錯覚も起きてしまうのである。粗悪品の輸入防止と国内産業の優遇策から輸入の際やっかいな証明書が必要になっていると日本のねじメーカーがぼやいていた。市内の目抜き通りの下を走る地下鉄工事もそれなりに進んでいると見える。工事の塀が広がっているのでそうであろう。3輪車のタクシーが少なくなった気がする。ほぼ日本車のタクシーの数が増加しているのであろう。地元で耕耘機を製造しているメーカーの社長様にお会いする事ができた。面白いかも知れない。農業関連産業はこの国では伸びるはずだ。国は政治力を発揮していただき、地場産業の育成に尽くしていただきたい。
「原付バイク、工場危険予知」
若い社員が頻繁に不良品をこしらえてくれる。破損も多い。危険予知をする習慣が出来ていないのであるが、ふと思いつく事があった。現在高等学校では原付自転車免許を取る事を禁止している。つまり原付バイクに乗る経験をする事が出来ない。自分の若い頃を省みて、2輪車で良くひっくり返っていたのではなかったか。転倒しない様に、アスファルトが濡れているときとか、砂をかぶっているところとかではスリップに十分注意した。
カーブでも滑らない様に注意した。常に危険予知しながら乗っていたのだと思う。高等学校で原付免許取得禁止という指導の理由は明白に分かるが、臭い物には蓋で、若い人達の可能性の芽を摘んでいると思うのである。危険予知がなんたるかを知る術もなく、これで会社では大迷惑をしているのである。
「ニーズと市場変化」
NHKのイッピンという番組でASAHIという久留米にある靴の会社(足袋から始まる創業100年以上の会社)が社運をかけて開発した、膝を悪くした人達のウォーキングシューズを取り上げていた。接地時にかかとの部分が特殊にスクイズするということだ。競争の激しい靴業界で、まさに社運をかけた様だ。会社が残るか潰れるかの瀬戸際だった。省みて、弊社はのんきかも知れないのである。なぜなら瀬戸際に立った社運をかけた開発という切羽詰まった状況は経験していないのである。開発は頑張っているが、残るか、潰れるかという厳しい状況にはない。幸せかも知れない。
雑誌でジュネビビアン社の倒産記事を読んだ。パーティードレスというニッチに特化した服飾メーカーで、百貨店での販売がほとんど。中小企業がニッチに特化するのはとても良い手段で、まさに弊社もそうなのである。
しかし市場自体が縮小し、百貨店で物を買わなくなる風潮に対し、その会社は有効な手立てを立てず、じり貧になって倒産した。他山の石にすべきだろう。市場は変化する。変化の波を見越して先に出来る手段をとる事だ。最悪の事態も頭の隅に置いておくべきだ。リスクマネージメント。
新しい年の初め、今年は年号が変る変化の年となる。日本の場合、天皇が変っても国の情勢は変らないが、今、外から見ると日本の状況は決して悪くは無い。今年一年、皆様のご健闘をお祈り申し上げます。