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世相

平成13年 夏

  • 2001年08月

「ロボット」
 やはり新世紀に入ったなと感じさせる事が三つある。一つはホンダの二足走行ロボットアシモ君だ。「たまごっち」「犬ロボット・アイボ」と、機械ペットとのふれあいがいよいよ本格的ロボットとの共存に展開しつつある。軽快なサンバのリズムにあわせて踊るアシモ君は意図的にか、いかにもロボットらしい外観をさせられているが、着物を着せて人間の顔をつけるのも時間の問題だ。つまり、飯島愛ロボットとか、松島菜々子ロボットが出てくるわけだ。その後の展開は想像にお任せしよう。ご主人様の言う事にはすべて逆らわず、年もとらず、いつまでもぴちぴちのロボット達がお金で入手出来る様になる。文句たらたら、言う事も聞かない三段腹の悪妻とももうオサラバだ。ロボットは飽きればいつでも修正できる。次は金髪だ! いつまでも新鮮な気持ちで一生が終われると言った訳だ。鉄腕アトムは天馬博士が、亡くした子供に似せて作った人型ロボットだ。彼は正義の味方、十万馬力、トラックだって戦艦だってぶん回す事が出来る。電車の無法な悪たれどもも、もう怖くは無い。手塚治虫が空想力を駆使して出来たSF漫画の世界に今まさに手が届く所まで来ている。

「携帯電話」
携帯電話の進歩がとどまるところを知らない。テレビ電話・メール・ナビゲーション・目覚まし時計・計算機・カメラと段々機能アップしているが、ラジオ・テレビ・CDプレーヤー・ビデオカメラ・コピー・録音などの記録機能、パソコン・ID機能としてのクレジットカードと定期券等のチケット類・血圧心拍などの健康管理機能と医療機能・護身機能と緊急時の通報機能・辞書や百科事典・通訳機能・工場での労務管理機能・ゲーム機と、思いつくだけでもざっとこんなところが携帯電話に入り込むだろう。自動車電話がなくなったと同じく、カーナビも無くなる。時代の変遷は早い。ディスプレー画面とキーボードの小ささは不便だが、多分折りたたんだ紙のような物を広げてそれになる様になって行くだろう。逆探知機能で営業マンがサボって昼寝をしていうのもわかれば、亭主がソープ街で二時間もHという店に滞在している事も一目でわかってしまう。そんな悪夢の様な時代も今まさにそこまで来ているのである。

「電気自動車」
省エネ・ハイブリッドカーが好評だ。実際は百%電気自動車にしてしまいたいところが、技術的に一足飛びと言う訳には行かないのでさし当たっての便方だ。
着々と技術を蓄積して十年とか十五年とかの内にはほとんどの自動車が電気駆動になって行くのであろう。つまり給油口のキャップを外す所から、ガソリンタンク、気化器、エンジン、往復運動を回転運動に変えるコネクションロッドとクランク、消音器にいたるすべての部品がいらなくなってしまうということだ!手のひらに乗るピストンリング一つとっても上場企業が何社も、なかば専業で製作しているのだから、とんでもない数の企業が御用済みになる可能性がある。反面、モーターとか電池とか新規需要は爆発的に発生する。いずれ石油は内燃機関の燃料としてではなく、豊富に含まれるたんぱく質が食品に向けた用途として見直されて行くことだろう。そして現在至るところにあるガソリンスタンドは電気スタンドに変貌することになる。
以上の三点、新世紀に入ったのだなと個人的に実感する内容だ。

「計算尺」
計算尺を使った最後の世代が私の世代だ。工科系大学に入学すると、関数計算、指数計算、対数計算や三角関数を計算する為に、関数機能のある計算尺が必ず必要であった。目盛りを合わせ、カーソルを合わせ、裏面にひっくり返し、またスケールを動かし、またひっくり返しと、気の遠くなる手順を踏む割にしょっちゅう桁を間違え、とんでもない回答を出した記憶がある。数字は合っていても十万円の物を百万円で買うようなわけだから、まったくとんでもない世界だったものだ。ヘンミとリコーの製品があり、大学の先生はどちらかと言うとヘンミの方が精度が長持ちして使い易いと薦めてくれたものだ。ところが大学二年になった頃にカシオ計算機が一万円のカシオミニという電卓を発売した事により事態は急変した。当時大学の試験は計算尺でもそろばんでも計算機(手回しのタイガー計算機)でも持ち込み自由であったので、答え一発のカシオミニは当時としては高価な買い物ではあったが、アッと言う間に普及した。実質試験の時間が長くなり成績も上がるからといえば、親も財布をすぐに広げてくれたものだった。四則計算しか出来なかった計算機も間を置かず関数電卓が発売され、大学を卒業する頃には大きな計算尺を抱えて登校する学生は居なくなった。記憶が正しければヘンミも電子計算機を発売したはずだが、オムロンや松下さえも撤退した計算機の激戦マーケットでは勝負になるはずも無かった。後年老教授が、壊れたカーソルを買い換えようと問い合わせたところ、会社ははからずもあったが、貸事務所に机一つだったそうだ。ヘンミが当時、精度がもっと良く、寿命も二倍、保証は三年、価格は半分といった計算尺を頑張って開発したとしても結果は決まっていた。時代はどんどん変わってしまう。的を射た努力が必要だ。

「インド」
年明け早々、インド最大の機械見本市に出展してきた。とんでもない訪問者が来た。プレス本体だけが欲しい。空圧装置も油圧装置も潤滑装置も電装部品もモーターもいらない、そんな物は後から自分達で付けられる、ベストプライスを出して欲しい。日本で一千万円の機械はインドでは実質一億から五億円にまでなる高価な買い物だ。メーカーとしては不本意だが彼等のリクエストも良く判る。ビジネスチャンスがまだまだあると感じた。

「タイ」
トヨタが一トン、一・五トンピックアップトラックの生産量を爆発的に増やすらしい。部品メーカーも特需が出ている。商用車バンやピックアップトラックが日本に逆輸入されるのも時間の問題だろう。その分日本国内の生産ラインは縮小する。
 二、三十人の規模の中小製造業者がタイに進出して、あっと言う間に二、三百人の規模に拡大する事も珍しくない様だ。日本では夢の様な話かも知れないが、コーヨーとかデンソーとかから直接引き合いが来る事もあるそうだ。海外では日本では考えられないビジネスチャンスが発生する。気心の知れた日経企業なら安心だし、品質に問題が出る事も無い。だからありそうな話でもあるが、勿論すべてがバラ色ではないのでご用心を願いたい。



「ベトナム」

ベトナムは戦争でアメリカに勝った勝利国だ。日本とは違う。ベトナムに進出する日本の企業が後を絶たない。ベトナムはミニ中国だ。中国と同様社会主義を標榜した政治家が政治・経済のあらゆる部分をコントロールしている。だからある面からすると何でも有りだが社会主義であるが故の進出の困難さも伴う。でも何故進出するのかと言うと、多分六千万人強の、タイを上回る人口の潜在的マーケット、勤勉な国民性(大抵の勤労者は終業後、夜間の学校に通っている)、儒教の南限(日本は北限)、日本と同じ無宗教と雑食性など日本との共通項目の多さがあるからだろう。中国の侵略と奪回の歴史は朝鮮半島の歴史と同じだ。勿論昔はベトナム語は漢字で表記されていた。当社にはベトナム人研修生が四名居るが、彼等は多少の漢字を読む事も書く事も出来る。姓名は漢字で表記できる。彼等のルーツは中国雲南省あたり、食いつめて南下した彼等の祖先が、元々住んでいた人々を山岳地やカンボジアに追いやって創設した国だ。ベトナム人はタイ・ラオス・ミャンマー人との共通項目は無い。キン族と呼ばれるベトナム人は基本的には中国人をルーツとしている。
さて、では何故今ベトナムと言うのかというと、ベトナムがかつての日本の昭和三十年代の状況と酷似しているから、という事に至るのではないだろうか。勤勉で手先の器用な彼等は当時日本が欧米から技術を導入した頃と良く似た展開をたどっている。日本の技術もいずれベトナムに移転されてしまうのかも知れないが、弊社はそれはそれで良しとしている。

「アメリカ」
アメリカは自由と理想と多数決の国であるが故にとんでもない暴走をする事もある。第一次世界大戦後、二度と世界戦争を起こさない様にと国際連盟が発足したが、アメリカはお膳立てをしただけで結局加盟する事はなかった。お酒は害があると禁酒法を制定した事もある。二酸化炭素排出を抑制し地球の環境保全を目指した京都会議には参加したが、批准をしない事が決定的になっている。ユネスコでの問題もそのままだ。いわゆるモンロー主義への回帰がどうしても感じられてしまう。ヨーロッパ勢がどう頑張ってもアメリカの実力には及ばないのだが、このままどうなって行くのか不安もある。国際連盟は第二次世界大戦を抑止する事は出来なかった。
 アメリカがマスプロ生産の大量消費国であるという認識を総てにあてはめるのは間違いである。五月にクリーブランドで開催されたメタルフォームというプレス加工設備の見本市に行く機会があった。そもそもアメリカではほとんどのプレス機械メーカーが消滅している中で、ミンスターという会社のみが孤軍奮闘をしている。そのミンスター社の小間の横で、何十年か前の真っ赤に錆びたミンスタープレスと、それと同型の新品らしきプレスが展示されていた。この小間はそもそもミンスターの小間では無い。いわゆるレトロフィット、中古機械再生修理業者の小間だった。スッピンと化粧後の大違いと言った生易しいレベルの話では無い。墓から掘り出したミイラを生き返らせてピカピカのギャルに戻した程のとんでも無い話だ。屋根も飛んで廃墟となった工場からゴミと一緒に無償で(あるいはお金をもらって)持ち帰り再生させたのだろう。我々プレスメーカーとしたらとんでもない存在だが、そんな会社が多数小間出展していた。クラッチ・ブレーキ等の交換部品も、各社の純正品が取り揃えられきちんとしたマーケットが構成されている。もちろん今は既に無いプレスメーカー各社の機械用だ。修理屋が増えてメーカーが消えたのか、メーカーが消えて修理業が増えたのか良くはわからないが、悪評高いPL法から推測すると多分後者だろう。弊社の小間の横で、弊社の古い機械の修理前・修理後を展示されたらどなり飛ばしてやるところだし、そんな事もあり得ないだろうが、なんともアメリカはおおらかな国だ。ビジネスはビジネスとお互い存在を認め合っているのであろうか。古い物でも捨てずにとことん使い切る。大量消費国としての違った一面を十分認識する必要がある。
 日本メーカーも少なからず出品していたが、何せ活発なのは台湾勢だ。OEMもある。数が出て利益のあがる板金プレス機の分野へは台湾勢がどんどん進出している。チャイニーズに売れ筋商品を持たせたら、まさに鬼に金棒だ。反面人件費の高い日本は劣勢だ。汎用プレスの分野は台湾の勝利が確実だ。ただ、そんな台湾製プレスも日本にはそんなに無い。多くの日本製プレスに割り込むのが大変という事もあるかもしれないが、彼らにとって日本は上がってしまった国と判断しているからだろう。

「小泉内閣」
 小泉首相の様なタイプの出現は大方予想は出来た。ヒットラー型指導者だ。行きすぎた民主主義のお陰で殺人を犯した方の人権ばかり重視され、暴行歴のある気違い(パソコンからこの言葉は一気に変換されなかった)がまた野放しになる。どんなに嘆いても民主主義の壁はあまりに優柔不断だ。一挙両断大岡裁きを見せてくれる強い指導者が望まれるにも道理がある。多分参議院総選挙も圧勝だろう。ただ韓国・中国は強い指導者の出現には警戒する。そういう強い指導者が出てくる・必要とされる現在の日本の国情にも警戒をする。教科書問題も間が悪い。多くの植民地を独立に導いた契機を作った日本の役割をもっと認識しようというのが趣旨のひとつで、私も、何食わぬ顔でしらばっくれているかつての宗主国の、合法的に根こそぎかっぱらっていった行為を考えると判らなくもない。しかし侵略を受けた側の記憶は何世紀たっても決して忘れ去られるものでははい。隣近所、困難ではあっても共存共栄の方策を見出して行かなければならない。

「KSD」
 期待していた、ものつくり大学はとんだ味噌がついた。弊社も趣旨に賛同して些少ながら寄付をさせていただいた口だ。KSDはそもそも中小企業経営者災害補償事業団という名称で出発し、高度成長期に町工場の社長が職場で怪我をしても労災が適用されず、当時は工場で働く社長が会社の総てであったから、悲惨な結果を何とか皆で助け合おうという共済で始まったものだ。それが最近は、工場で働かないゴルフ好きの社長が増えたもので、災害給付を支払うケースが減ってしまった。座っていても会費は自動振込みで絶え間なく入る。営業も信用金庫がしてくれる。使い道の無くなった、たまる一方の金が悪事に走らせた。下半身が強すぎたのも悪かった。晩節を汚すという言葉にぴったりの顛末となった。ただ、彼の人は中小企業の存続にことさら努力していた事を付け加えたい。中小企業の株式相続の不合理解消なども積極的に政治家に働きかけていた。弾を撃つのはどこでもやっているはずだが、今回は色々やりすぎて墓穴を掘ってしまった。

「景気の回復」
 経済再生は待った無し。小泉内閣に期待せざるを得ない。中後半端なやり方はもう通じないし、痛みも分け合わなければならない。浜口内閣の時もそうだったが裏切り者はあちこちに居る。痛みも適当に。絶妙な手さばきが求められるが大変な事だ。頑張っていただきたい。
 大変だ大変だと言ってはいるが、お母さんが夕方、空になった米びつを開けてため息をつく、といった光景が今あるはずが無い。私の知らない頃の話だが、その頃から見ればまだ日本は余力たっぷりと考えられるだろう。銀座に開店したエルメスの直営店には長蛇の列が出来た。鞄もスカーフも中途半端な値段ではないのが飛ぶように売れている。景気の回復は個人消費の回復がキーポイントだが、弊社のプレスもエルメスの様に飛ぶように売れる様知恵絞りたい。

「明日があるさ」
 阪本九の「明日があるさ」がまたヒットしている。彼の「上を向いて歩こう」はスキヤキソングという名前でアメリカで大ヒットした。「見上げてごらん夜の星を」もいい歌だった。当時は東京オリンピック前、浮き沈みはあっても日本が高度成長期をまっしぐらに突き進んでいる頃だった。彼の歌には明るい未来へ向かって努力して行こうという内容が多かった。大方の予想を裏切ってとんでもなくきれいな奥さんをもらい、娘二人と幸せな家庭を持った事も彼の人柄が為した結果だったであろう。しかし周知のごとく、彼は暑い夏の夜、御巣鷹山の山頂に散って行ってしまった。今、彼の地から日本の国民に送ってくれているメッセージは紛れも無く「明日があるさ」だ。実情は厳しすぎる、しかし頑張ってゆこう。

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