世相
2025 正月
- 2025年01月
世相日本世界感じるままに 榎本機工㈱ 社長 榎本良夫
「プリンス自動車」
上皇様が、皇太子としての立太子礼を執り行った事にちなんでプリンスという社名とした自動車会社で、昭和30年頃、トヨタ・クラウン、日産・セドリックと共にプリンス・スカイラインという車で当時の日本の自動車会社としては3番手につけていたと記憶している。テールフィンのついたスカイラインのデザインは、クラウンやセドリックとは一線を画した斬新なアメリカンスタイルの設計だったが、もっともプリンス自動車の技術陣の多くは航空機産業からの転職者で、世界トップレベルだった中島飛行機や立川飛行機が戦後占領軍の方針で一切解散となり、二度と飛行機産業に携わる事が出来なくなったので、もっとも近似な自動車産業に移籍したからであった。飛行機の技術が自動車産業に展開したのであるから、流線型の垢抜けしたデザインがプリンススカイラインに採用されたのも判らなくは無い。当時小学生低学年であった私の記憶にもカッコよい車体がくっきりと残っている。
しかし技術屋の妥協を許さない社風は商売の上での大きな足かせとなり、経営は不振、長く続く赤字体質の末、日産自動車に吸収合併されたのである。当初は日産プリンスと名乗っていたが、その後プリンスの名前は消え今日に至っている。
1970年台、「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチコピーで若い恋人が乗る車として猛烈な宣伝をかけたスカイラインはすでに日産になっての事で、そんな高価な車に若い恋人が乗れるわけは無かろうとは誰しも思ったが、スカイラインは憧れの的であった事には間違い無い。スカイラインに乗っていればかわいい恋人が獲得できる!という売りだったのだろうが、確かにそうだった。当時かっこ良い車は彼女を獲得する重要なツールだった。(今はそうでは無い様だ)
2024年の年の瀬も迫る頃、今度は日産をホンダに吸収させる計画が持ち上がった様だ。日産は不振が続くらしいが、確かにトヨタのレクサスやヤリスの様に存在感のある車が無い。ホンダは元々オートバイだけだったが、1963年に四輪車に参入した後発だ。当時の通産省が、そんなに四輪メーカーが日本にあっても共倒れになるだろうと参入に難色を示したのが、創業者本田宗一郎が政府にけんかを売って強引に四輪に参入した事は有名だ。そのホンダが古参の日産を吸収しようとしている。
「設計、リクルート」
リクルート。新卒獲得は仁義なき戦いになってしまった。まあ彼女をゲットするのと同じだろうから、それはルールも何もないのかも知れない。強い者が有利で、小さな会社だとどんなにすばらしくても中身を知ってもらうのは至難の業だ。
そんな中で、女性の活用、外国人の採用とリタイア老人の雇用も視野に入れなければならないが、日本に留学し、卒業した外国人が結構弊社の扉を叩いてくるのである。留学生リクルートWEBなどに参加もしているからだろう。“設計の経験がある”と言うのでそれではと、油圧(空圧でも良い)シリンダーの、 入力圧力とシリンダー直径、そして出力の関係式を用いて数値設定は何でも良いのでシリンダーの設計をして欲しいという質問をする。油圧ジャッキも同じなのだが、設計では、イロハのイの字の装置である。速度だとか容器の耐圧だとかは別にして、直径を幾らにすれば出力、つまりジャッキで言えば何トンのジャッキができるのかという質問なのだが、まず回答できる人は未だ一人も居ないのである。ボイラーの設計をしていたという人も出来なかった。聞いてみると要求された数値を入れるとパソコンがボイラーの主要数値をはじき出してくれるらしい。テンプレートに要求数値を入れるだけで、およそ設計しているとは言えず、当人は錯覚しているとしか思えない。
スポットライトの光が広がる角度を与え、一定の距離にある壁にそのライトの光が直径でいくらほど明るくする事ができるか?これは角度の半分とtangent(tanθ)を使うごく初歩の三角関数の問題だが、これも回答できた者はいない。 ほとんどの応募者は設計しているのでは無く、図面を画いているだけの様に見受けられた。 図面を描いていると設計していると勘違いするのだろう。 それでも、丁寧に実情を説明してあげると自分の実力が理解できる様で、現場からたたき上げて設計屋になる覚悟があるのならいらっしゃいと言うと、誘い水に乗ってくる子も居るので、頼もしく思える昨今なのである。現在弊社では、パプアニューギニアとバングラディシュ出身の若い技術者が、「ものづくり」の主戦場である工場で、機械加工技術と組み立て技術を研鑽している。
「2025大阪万博、石黒教授」
「いのち輝く未来社会のデザイン」が今年4月から大阪で開催される万博のテーマだそうな。55年前の1970年に大阪千里丘陵で開催された先の万博は「人類の進歩と調和」がテーマだったが、何しろ皆一生懸命働いて豊かになろう、豊かな生活を送ろうという事だった様に思える。実際サブテーマには 「よりゆたかな生命の充実を」「より好ましい生活の設計を」がある。内外からたくさんの人が来場し、パビリオンは長蛇の列、「人類の辛抱と長蛇」とか「残酷博」と揶揄されたが、大盛会であったのは間違い無い。車が欲しい、ラテカセ(ラジオと、テレビと、カセットデッキが一体となったコンパクトな装置)が欲しいとかナナハン(ホンダの750CCの大型二輪車)に乗りたいとか当時高校生だった私にも沢山の欲求願望があった事には間違い無い。皆一生懸命豊かになろうとしていた。父親がアレンジしてくれた旅行ツアーにはいり、家族で万博に行った事は良く覚えている。確かにアメリカ館など目玉パビリオンは入る事もかなわないと、最初から諦めて、企業優待券で並ばずに入れる企業パビリオンや、小さな国のパビリオンだけ見学した記憶がある。
今年の大阪万博は最初行くつもりも無かったが行ってみようかと思う様になった。大阪大学のちょっとした講演会に、アバター研究第一人者の石黒教授が講演に立ち、万博に常駐するとの事。ただし、そっくりのアバターだそうな。まったくうり二つの分身だ。昔漫画の世界で孫悟空が自分の毛を抜き、ふっと息をふきかけると毛の数だけ分身が出来て一緒に戦うという一コマがあったが、今漫画の世界が現実になってきている。質問すると若干間があくが石黒教授以上に的確に回答してくれて、それも何カ国語で質問してもその言葉で回答するというのでびっくりした。本当の人では不可能だ。AIが完全に人を超えてしまっている部分だ。私も英語はそこそこ出来るが、ドイツ語も、フランス語も、イタリア語も、中国語もとなると不可能だが、アバターであればそれが出来てしまうのである。
前の万博は一生懸命豊かになろうだったが、今回は豊かになってしまって、さて未来を我々はどう描いて行くべきなのかという設問に答えの一つを出す万博になるのだそうだ。しかし現実は残酷すぎる。ウクライナもパレスチナも戦乱の終わりさえ見えず、未来もなにも無い。
「イギリス、産業革命」
長い間貧困にあえいでいた世界が一挙に豊かになる契機となったのは、イギリスで起きた産業革命である事は間違いないらしい。18世紀後半から19世紀、つまり西暦1800年頃に、なぜイギリスで産業革命が起き、なぜフランスやオランダで起きなかったのか? 中国は当時清朝の最盛期乾隆帝の頃でヨーロッパに並ぶ豊かな国だった。なぜ中国で産業革命が起きなかったのか? 日本は徳川吉宗から家斉の頃で豊かだったが、なぜ日本で産業革命が起きなかったのか?
産業革命以前の動力源であった風力とか河川の水力、つまり風車や水車から、圧縮気体である蒸気がどこでも手軽な動力源として使用できる様になり、蒸気機関車など多数の機械装置が開発された。大量の蒸気を作る為の石炭があった。万博では無いが人々が豊かになろうと勤勉に働く様になり、その果実が労働者の手元に残る様になり、政治の搾取が無くなった。政治制度が民意を反映する様になった。冨の独占をする貴族王族の力が弱くなった。経済学者が一生懸命解明しているらしいが、核心が無いらしい。
現在の地政学的諸問題も当時の状況に重なる部分があり、特に政治とか宗教が経済発展のカギを握る一部であるという事は、個々の会社のビジネス展開を検討する上でとても有用に思える。
「チェコ、ブルノ」
昨年10月、チェコ共和国の第2の都市ブルノで開催された、第65回、MSV国際エンジニアリングフェアに出展した。MSVはMezinarodni Strojirensky Veletrhの頭文字で、英語にすれば International Engineering Fairである。65年前、1959年に第一回が開催されているので、非常に歴史ある工業展示会である。
チェコやポーランドの東欧諸国は昔から結構工業技術が高かった国々があるが、長い間の社会主義体制で技術力が低下してしまった。チェコのシュコダの自動車部門はフォルクスワーゲン傘下になってしまったが、車のブランド名はそのまま残っている。シュコダは工作機械メーカーでもあり、イギリスで建造された日露戦争で活躍した戦艦三笠の部品の一部はシュコダで製造された。
これら東欧の国は高い工業技術がありながら、強い軍隊を持たなかった為、2度の世界大戦でドイツやソ連の侵略を許してしまい、国家が破綻した。
ブルノには、鍛造プレスで世界的に有名なシュメラル社もある。シュメラルの鍛造プレスは日本でも結構あちこちで稼働している。
展示会参加の経緯は、JETROがジャパンブースを設営し、小間料無料で参加企業を募ったのに応募したという事に尽きる。情報は弊社が加入している日本鍛圧機械工業会から入ってきた。
チェコでは弊社機は2台稼働している。一台はトヨタの関連、もう一台はヨーロッパ企業の工場だ。もうすこし弊社機販売の伸びしろが期待できそうなので展示会参加した。
ブルノの街には城や古い教会、広場などたくさんあり、ヨーロッパらしい町並みで展示会前後の空いた時間に徒歩で十分散策できた。早めにヒトラーにギブアップしたので戦争であまり破壊されていないという事だ。
ジェトロのアレンジで、広大なダイキンのエアコン工場の見学もさせていただいた。鋳物は中国から調達しているが、パイプも含め多くは内製していた。ただチェコの人件費が近隣諸国より高くなり、外国人労働者の雇用が必要になっている。チェコから隣のスロバキアやその先のルーマニアに移動している企業もあるという事だった。日本の大手商社もチェコからそちらの国々にウエイトを高めていると聞いた。
ブルノへの空路がほとんど無く、首都プラハより近い隣国オーストリアのウィーン空港からバスに乗るのが最も手軽との案内で私もそうした。鉄道はしばしば遅れがあるし、個人的にはプラットフォームが低いので重いスーツケースで列車に乗り込むのが困難なのでうれしくない事もある。弊社の在ベルリンのサポーターMr.リヒターは、ベルリンから直通列車があるからとそれで来たが、やはり乗車口はめっぽう位置が高く、重い荷物に難儀した。
引き合いはそれなりにあり、今年2月には1社訪問する事になっている。
「インド」
昨年2024年は、インドで始まり、インドで終わった。毎年1月にインドで大きな機械展示会と、自動車部品展が交互にある。今年はまもなく首都デリーで自動車部品展、Bharat Mobilityと言う展示会が始まる。前回まではAuto Expoと称していたが名前が変わった。Bharatはヒンズー語でのインドであり、JapanとNipponの様な関係である。Indiaは英語呼称である。インドはヒンズーから来ていてポルトガル語化してインドになった。 Bharat, Hindu, India, みな同じである。インドを指す。 30年前、中国は自国を世界の工場にするとして世界から技術を呼び込んだ。今インドは、Make in Indiaをスローガンに過去の中国と同じスタンスをとりながら発展を意図しているが、当時の中国と今のインドは中身が全然違う事に注意する必要があるだろう。行ってみないとなかなか判らない。インドの現在の工業力は民生部分でもかなりレベルが高い。
インドの文化は中国を経由して日本に沢山入って来ている。仏教がそもそもそれだ。 インドと言うと敷居が高く感じる人が多い様だ。確かに人種もかなり違うし、料理も違う。 宗教もヒンズー教が大多数で仏教は衰退してしまった。ただ英語が通じるのはとても助かる。ずばり直言すると日本は今後インドを避けて通ることはできない。世界情勢は混沌として先が読めない。アメリカがどうなって行くのかも誰も読めない。政治力の無い日本は、固有の工業技術を磨き上げ世界に伍して行くのが最も良いと、弊社も技術力の勘を、全員で楽しみながら磨いている今日この頃です。
今年も皆様のご健闘をお祈りします。