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世相

平成30年 夏

  • 2018年08月

 

世相日本世界感じるままに           榎本機工㈱ 社長 榎本良夫

            

「インド、寛容」

インドで仕事をしていてしばしば感じるのはインド人の寛容さである。日本だったら即刻出向いて対処しろと叱られるクレームのでも、インドではこれこれとりあえず対処してくれないかと依頼するとやってくれる。最後には許してくれる場合もある。私(と弊社)の個人的経験ではこの寛容さに助けられた場合がしばしばある。もちろん何から何まで寛容であるわけでは無く、ストライキや労務交渉などでは殺人まで犯す事もあるし、労働者が会社の設備を壊してしまう事だってある。警察に拘留されている犯罪者を意に沿わぬ民衆が引きずり出して私刑に処する場合もあるのである。集まると暴発するのかも知れないが、事仕事の面ではしばしばインド人の寛容さに助けられる場合があるのも事実なのである。

 

「インド、まぜこぜ文化」

インドの工場、スタッフの転職は、多くの国と同じ様に日常茶飯事である。A社のスタッフはB社に転職するとA社の技術をB社の中に持ち込みミックスする。「何でそんな事に困ってるの、A社ではこうやっているよ」という具合である。最近は工場スタッフがスマホを持っているのは常識で、スマホでやたら撮影した企業秘密も簡単に転職先で開示できるのである。そこでB社固有の技術がA社の技術とまぜこぜになる。このまぜこぜになったB・A技術をB社の社員がC社に転職して、またまぜこぜにする。A・B・Cとなった技術が、たまさかC社のスタッフが、今度はA社に持ち込んでまぜこぜにするが、A社はすでに他からの転職者でA・G・Zになっていたりするから話がややっこしくなる。なにしろあらゆるジャンルの技術がどんどんまぜこぜになって行き、変わった味となり、多くの場合グレードが上がるのである。日本とは真逆だ。技術を開示せず各社固有の物として磨きをかける日本の手法も悪くは無いのであろうが純血主義でもあり発展の度合いは限られる。インド料理、そもそもカレー(マサラ)と称するソースは各家庭固有の、ターメリックなど各種スパイスのミックスまぜこぜだ。そして食事の際、お皿のご飯の上に各種のカレーを注ぎ、まぜこぜにして各自の味を作って楽しむのである。そもそもインドの食文化はまぜこぜ文化なのである。翻って和食。まぐろの赤身は赤身、トロはトロ、白身はヒラメ、脂っこいのはブリと、刺身に限ってもそれぞれの固有の素材の純粋な味を楽しむ、素材その物の味を楽しむ日本の食文化ではまぜこぜは相容れない。インド文化はまぜこぜ文化。。技術は純粋培養が良いか、まぜこぜが良いか? まぜこぜは沢山の変化を醸成させる可能性が高い。変化が変化を生む。となるとインドの技術はあるとき突然高度な技をもたらす可能性がある。人種も混ざりあってしまうと綺麗で優秀な者が出てくる。混血である。

 

「イギリス農機具鍛造、タイ」

タイの展示会で、鍬などの農機具を鍛造で製造しており、くずを極力出さずに素材費を安価に上げたいので一度見に来てくれないかという訪問客があり、バンコック郊外の工場を訪問してみた。聞くところによると、イギリスで200年前位から農機具の製造をしていた会社があり、バーミンガムにあった工場の生産設備を50年前にタイに移設したという。日本で言えば燕三条の様なものであったのであろう。鍛造機と周辺装置は農機具鍛造に特化した特殊な物や、うまく改造して使用している装置ばかりで、材料~鍛造~熱処理~仕上工程が上手に組み合わされていた。いずれも50年以上使い込んだ機械である。スクリュープレスも、ドイツワインガルテン社の伝説的なロール駆動の物がまだ現役で稼働しており、この様に稼働状況を見られるとは思わなかったので感激した

ワインガルテン社・ロール駆動スクリュープレス

イギリスの、産業革命を経てからの最も隆盛を極めた頃の装置群と見え、その細微に渡った塑性加工を理想的に行うことの出来る設計はひとしきり勉強になった。ただ時間を経てしまったという事もあるのだろうが、なぜそれがその様な仕組みになっているのかはもうタイの作業者では判らない事ばかりらしく、ただ教わった事をそのまま50年間忠実に守っているかの様に見られたのである。私も塑性加工は多少なりともかじっているので、うまい仕組みでやっているな、と思った事をタイのスタッフに質問しても、昔からこうやっているので、という答えしか返らなかった。鍬というのは、丸棒から何工程もかけてロール加工や鍛造をするのであるが、材料ボリュームが偏っているのでなかなか素材の無駄ゼロには出来ない。現状の工法も決して悪い物ではなく、50年以上前のイギリスの塑性加工技術がすでに高度な域に達していたという事になるのであろう。残念な事に、これらの技術はすでにイギリスからは消失してしまった。

 

「やすりと味噌」

昨年出展したミャンマーの展示会、日本のヤスリメーカーが出展しており、社長さんと情報交換した。ツボサンという会社である。面白い社名の由来を聞いたのだが、ヤスリを味噌で塗って熱処理するその味噌壺が由来という事で非常に興味を引き、鍛造もしているというので早速工場訪問をさせていただいた。広島県呉の海岸近くに工場がある。多くの工場スタッフは40歳過ぎの女性、40年から50年物の古い機械装置を丁寧にメンテナンスして今以て使用している装置メーカー泣かせの工場である。工場で使用するプロ用やDIYで販売している小さな小やすりから大きな平ヤスリなどで、やすりの溝は高速で運動する鏨(たがね)の様な物で叩きこんでいた。スプリングハンマーの様な連続した早さである。熱処理の前に、本当の味噌を水で溶かした味噌汁を溝に丁寧にすり込んで水焼きで熱処理する。味噌の塩分が文字通り味噌なのであろう。冷却時に効果があるのだそうだ。味噌以外の化学品もいろいろ試したが、味噌が一番だったという事だ。排水処理にも困らず、昔からの知恵なのであろう。中世のヨーロッパでは馬糞も使ったらしい。これがご縁で春先のロシアのMetalloobrabotka展示会では弊社の小間を少しお貸しすることになった。

Metalloobrabotka 2018 榎本機工小間

良いやすりなのであればロシアでも売れるはずだ。先日近所のDIYに行く事があったので、ふと思いつきヤスリのコーナーに寄ったらほとんどがこの会社の物であった。その上植木の剪定ばさみのところでも弊社の客先の製品が多数販売されていた。刃は弊社のプレスで鍛造している。日本の塑性加工技術の粋は昔も今も変わらない。それに弊社のプレスも係わっている。伝統は絶やさずずっと継続して行きたいものだと思った。

 

「陸王」

池井戸潤のフィクション小説であるが、モデルとなる会社や人物は存在するらしい。中小製造業の悲哀をベースに時代に取り残されて消失してしまわない様に新しい物にチャレンジする過程が絶妙なペンタッチで描かれている。基本線は、技術と資金と人でありそれがそろわないが故に社長が粉骨砕身努力して会社を建て直すというストーリーだ。弊社もそうであるが、中小の製造業は、技術と資金と人が存続のベースである。どれが欠けても成り立たない。本当に中小企業の社長はつらいよ、なのである。

 

「中国リベンジ5年」

中国山東省の自動車部品メーカーから受注を受けた。ローカル企業では無く、世界的コングロマリットの中国工場である。本件は前哨戦があり実はヨーロッパの工場からまず最初の受注を受けた。その余波が中国に飛んだという事になる。ヨーロッパは増産の為の増設であるので、中国も当然そうだと思ったのが、更新入れ替えだと言うので驚いた。となるとこの話にも前哨戦があるのである。ちょうど5年前この中国工場向けの装置で弊社は失注している。現地工場を訪問した際その時取られてしまった装置が中国製で5年経過して使い物にならなくなったという事が判った。劇場第1幕では取られ、苦節5年目第2幕の幕が開きつつある時、リベンジを図ったという事である。弊社の製品は5年でダメになる事は無く、それどころか20年30年と長過ぎて困る程である。第3幕以降はもう絶対こちらに来るだろう。第1幕で諦めてはいけない。

 

「ゆっくりと変わるベトナム」

毎年7月の恒例となってしまった、MTAベトナムの展示会出展である。

MTA Viet Nam展示会

1年経っても状況は大きく変わりはしないが、それでも何かしら変化を見ることが出来る。韓国の乗用車が少し増えてきた気がして弊社ローカルスタッフに聞いてみたら、GRABだそうだ。ウーバーが撤退し、ホーチミン市での現在の自動車配車ウエブサイトはグラブが仕切っている。本拠はマレーシアだそうだ。緑のヘルメットバイクもグラブだそうだ。韓国車は安価なのでその業務用に使われるのだそうだ。いわゆるタクシーでは無いので、見た目は一般の乗用車。ヴィンファストグループがハイフォン近くに大きな自動車組み立て工場を建築中で、2019年9月から市場に投入する予定の様だ。イタリアのデザインでIDGという車はItalのデザイン、PNFはPininfarina, TRNはTrino Design, ZGTはZagatoのデザインで、これらの車名で20車種ほど製造する予定である。2018年10月パリの自動車ショーでお披露目をするという事だ。ヴィンファストはすでにGMの代理店を買収している。中国製の車部品を使うのかと思ったが、ほとんどをヨーロッパから調達すると言う。もちろん電気自動車も視野に入れているらしい。EVとなると広い底辺と裾野が必須の内燃機関車両産業とは打って変わって参入が容易になる。したたかなベトナムの若い創業者もそれを狙っているのは間違いないと考えて良いだろう。工場だけでも15億ドルの投資、社長で創業者のPham Nhat Vuong氏はロシアで勉強し、1990年代にウクライナで即席麺の製造販売で身上を築いたベトナムきっての立志伝中の起業家らしい。年齢は49歳と非常に若いが、その手腕が自動車業界で遺憾なく発揮できるかどうか、ベトナム市場での勝敗が鍵を握るであろう。一方同業のTHACO社は時前ではトラックだけ製造しているが、マツダや現代(KIA)の車をダナン近くの大きな工場で組立てしている。ホーチミン市内、あふれるばかりのオートバイの洪水の中で自動車は思う様に速度を上げる事もできないが、ベトナムの自動車産業は速度を上げて熱を帯びてきている。しかし残念ながら裾野の広大な自動車部品産業はベトナムではまったく育って居ないし存在すらしない。このギャップを埋めるのがEVなのであろう。しかしまだ先は長い。

 

「ベトナム、土地所有、リゾート開発」

ベトナムでは土地の長期所有が認められている。しかし永久使用権では無く一定期間後に更新をするのだそうだ。外国人や、外国法人には50年の使用権が認められているが、これが99年になるという法の改正が行われそうになり、大規模な反対のデモがホーチミン市で行われた。中国人が土地を買い占めるに決まっているという事が理由らしい。買って使うのでは無く投資目的で買うはずだと言う。現在ベトナムでは3カ所に大きなリゾート開発をする計画がある。中国国境近くの海岸沿いのヴァンドン(国際文化遺産のハロン湾近く)と、ベトナムの最も南部のカンボジア沖にあるフーコック島、そしてニャチャン近くのバンフォンである。すべて高級リゾート地開発で大規模に開発して販売するという。これが中国人の投資の対象になるに決まっている、と、ベトナムの多くの人たちが認識している。そしてベトナム政府と中国企業の間に何かが働いていると多くのベトナム人は推測しているのである。

 

「エカテリンブルグ展示会、ロシア帝政」

ロシア・エカテリンブルグで開催された展示会INNOPROMに出展した。

INNOPROM展示会

ジェトロブースである。サッカーワールドカップの日本サッカーチームの試合で一躍有名になったロシアの地方都市である。ヨーロッパの人たちはロシアを、ウラル山脈の西はヨーロッパ、東はアジアと見るので、エカテリンブルグはヨーロッパの一部。モスクワから飛行機で約2時間である。モスクワとは時差が2時間ある。スヴェルドフォフスク州の州都で、人口150万人弱でロシア第4位である。名称はロシアの皇帝ピョートル1世の妻であったエカテリーナ妃の名に由来しているというが彼女の偉業をたたえただけで、彼女が住んでいた訳ではない。ロシア革命に際し、300年続いたロシアロマノフ家最後の皇帝となったニコライ2世は、妻子とともにここエカテリンブルクに送られ、1918年7月17日イパチェフ館で一家もろとも惨殺されたのである。帝政ロシア時代の農奴制における農民には一切の自由が与えられず、所有者であった貴族領主による過酷な人格的支配・搾取に耐えるしか無かった。ひどい話である。他のヨーロッパ地域と違い、ロシア農民を苦しめたもう一つの要因は長く過酷な極寒の冬と短い夏と春秋の冷害で、この為農業生産性が低く、当然ながら領主の期待に反する事となり、なお一層の人格を否定する社会制度を生んだのである。ロシア革命の契機となったのはこのロシア帝政における農奴制で、第1次世界大戦を契機に一挙に社会主義体制に移行したのである。日本の明治時代後半から大正、昭和初期の話である。最後の皇帝ニコライ2世は皇太子時代に日本を訪れているが、京都から琵琶湖への日帰り旅行中に人力車車上で交通整理にあたっていた日本の巡査にサーベルで切りつけられ大けがをしている。1891年、明治24年、これを大津事件と呼ぶ。東京に居た明治天皇は急遽京都に出向いて謝罪をしている。当時大国であったロシア帝国はシベリア鉄道を充実させ、アジアへ版図を拡張する侵略政策を実行していた。これを快く思わなかった巡査長が殺害を試みたという事だ。日清戦争が1894年、日露戦争が1904年であるからその前の出来事で、小国日本としてはとんでも無い国際事件をそれも警察官が起こしたという大事件だったのである。ロシア帝国の、現在の中国東北部(過去の満州国の周辺)への軍事進出に危機感を抱いた日本は無謀にもロシアに対し日露戦争を起こしたが、かろうじて勝利、ロシアは続く第1次世界大戦が長引き経済が疲弊してロシア革命が引き起こされ、帝政に終止符が打たれてニコライ二世はエカテリンブルグの地で消されて行ったのである。サッカーワールドカップ、ソチでロシアがクロアチアに負けた試合の日にエカテリンブルグに入った。古い路面電車やトロリーバスが走る町並みは、ボロボロになった古い建物も残っていれば、斬新的なショッピングモールがあったりもする。展示会の今年のパートナーカントリーが韓国の為、韓国出展者多数。ホテルも韓国人が多数滞在していた。(昨年のパートナーカントリーは日本)同時開催の中国・ロシアパートナー展示会は圧倒的多数の中国人である。ウエルカムレセプションは、昨年はプーチン首相が来た。今年はメドベージェフが来るとの話だったが結局来なかった。

 

「ロシアにプレスはいらない」

昨年ポーランドのクラコウの広場で、記念メダルを「フライプレス」という人力のスクリュープレスで加圧して販売しているのを見て感激したものだ。

ポーランド フライプレスのコイン製造

塑性加工業界では、これをコイニングと呼ぶ。つまりコインを作る様な加工であるからである。「まんりき」の親分であるが、スクリュー軸は縦で、上に大きな回転するおもりがあり、これを勢いよく人が回してスクリュー機構でプレスするのである。弊社が現在製作しているサーボ駆動スクリュープレスもその機構原理に違いはまったく無いのである。だから感激した。ロシアINNOPROM会場の外でも記念メダルをその場で作り販売していた。こっちは人がハンマーで金型を思いっきりたたくのである。

ロシア、人力のコイン製造

出来たメダルはプレスで鍛造した物と遜色無い。力まかせで荒っぽいロシアならではのやり方だと理解した。そしてロシアにプレスは要らないと思った。

 

「ロシア自動車」

ロシアの人口は1.4億人、日本の1.2億人より若干多い。ちなみに世界ランキングではロシアは9位、日本は10位である。ついでだが、アフリカ中部のナイジェリアは1.9億人で第7位(アフリカにも大きなマーケットがある)。広大な面積を持つロシアの事であるから、自動車の数も多くてしかるべきだろうと考える。2017年の自動車販売台数は147.5万台、前年比12.5%の増加で好調である。内訳は国産車32.3万台、国内で組み立てられた外国ブランド車89.7万台、輸入車25.5万台である。2018年の販売予想は164万台で11%の増加。過去4年間の販売低迷を脱し、ここ5年間は増加傾向が見込まれるという事である。ただ台数からするとロシアで組立てられている外国車の比率が圧倒的に多く、ここにロシア自国の部品産業が介在して部品を供給するのかと言うとそうでも無さそうである。理由はロシアでは部品のサプライヤーが居らず、過去国営自動車メーカーが川上から川下までのすべてを自前で製造していたからである。二輪が無いのも部品メーカーが存在しない一つの事情の様に思える。昔のホンダが良い例で、二輪は手作りの部品で結構簡単に製作していた。ブランドで見ると、販売台数の多い順に、ラーダ(アフトワズ社)、現代自動車、KIA, ルノー、トヨタ、フォルクスワーゲン、日産、カズ(商用車)、シュコダ、ウアズ(SUV)、フォードと続く。車種では、ソラリス(現代)、グランタ(ラーダ)、ニュー・リオ(KIA),ベスタ(ラーダ)、ポロ(VW)、ダスター(ルノー)、RAV4(トヨタ)、と続く。外国車では韓国製が圧倒的に強い。ロシア国営アフトワズ車はルノー・日産に買収された。アフトワズの持つ既存の生産工場を利用して一挙にロシアでの業績を上げる目論見がある。3社は部品の共有化を図るなど効率化を上げ、その上で棲み分けをしてシェア拡大を目指すが、他の国営自動車メーカーの見通しは厳しい。

 

「日本人、ドイツ人」

昔から商売上ドイツとドイツ人との関わりが多い。当初からドイツ人は食事の際においしい料理にかかっていたソースや汁を無駄にせず、ちぎったパンで皿をまるで掃除する様にして食べ終わるのを知っていた。料理にかけられたソースは吟味して作っているのでおいしいし、皿についたまま洗って捨ててしまうのはもったいない。お皿は洗う必要が無いほどに綺麗になり、料理は余すところなくお腹の中に収まるのである。昔からドイツは華やかなフランスやイタリアと比べヨーロッパでも田舎に属し、冬の寒さから農産物も豊富に取れるわけでは無かったから、食べる物を大事にしていた名残なのであろう。日本も同じ。映画「たそがれ清兵衛」の朝食の1シーンに、雑炊を食べ終わった茶碗にお湯を入れ、箸でつまんだ漬物で茶碗を洗い、全部飲んでしまう所がある。多分戦後(太平洋戦争である)ある時期まで、特に田舎では食器は自分の箱膳に仕舞われ、食事の際に箱を自分で持ってきて食器を出して食事をし、食器は注いだ湯で洗って全部食べてしまい、また箱にしまって棚に戻すという事をやっていた。記憶にある限り私の家ではその様な事は行われなかったが、まだ母親は食後のお茶をご飯茶碗に注いだものだ。ごはんのデンプン質を全部お腹に仕舞うという訳である。先日仲良くしているドイツ人とこの論議になった。どことなくドイツ人と日本人には近似性がある。地震・豪雨・水害と自然災害が続く日本。そして酷暑。アメリカと中国の貿易摩擦は世界経済に波及しはじめているが、事実貿易不均衡を被っているアメリカの言い分も理解出来ないでは無い。日本経済はそれでも東京オリンピックを目指して活況を呈していると言って良いであろう。今年後半の皆様のご健闘をお祈りします。

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