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世相

平成27年 正月

  • 2015年01月

「デジカメ」
昔も今も、世界中どこの観光地でも多くの観光客が記念写真を撮影する光景を見ることが出来る。遺跡、古い町並み、新しい町並み、自然の景色と思い出になるシーンをフィルムの残量と現像プリント代を気にしないでおよそ好きなだけ撮影できるのはまさにデジタルカメラ技術の本骨頂だろう。小学校の修学旅行、日光東照宮や沢山の湖や山々の景色を撮影するのだが、36枚撮りフィルムの残量がいつも心配の種だった記憶がある。勿論モノクロームの世界である。高校の修学旅行のあたりからカラーになった。1枚何10円かしたプリント代で小遣いの底がついた。当時出始めのカラープリントは何しろ高かった。その場でプリントが出るポラロイドカメラはまた別の意味で便利なカメラではあったが、とっくにその使命を終えて消滅した。フィルムの老舗であるコダックも消滅した。富士フィルムは別の世界に足を踏み入れている。買収した会社とは言え、エボラ出血熱の治療薬認証は見事で日本の誇りとなった。時代の変遷、技術の変遷は待っていてくれる事は無い。だから技術開発は前に向かって進まないといずれは過去の遺物となって消失消滅する。 さて、世界中の人達が使うデジタルカメラ。良く観察するとマニア向けの一眼レフもコンパクトカメラもそのほとんどが日本ブランドである事に気がつくのである。タブレットで撮影している人も勿論居るが、デジタルカメラはその市場のほとんどを日本ブランド(あえて日本製とは書かない事にする)が制覇していると言っても過言ではなさそうだ。

「中国髙鉄、子供料金」
高鉄、高速鉄道の略で「カオティエ」と言う。新幹線だ。ドイツや日本の高速鉄道車両の技術を導入後、これは中国固有の技術と主張したり、何年か前、温州での事故車両を埋めた証拠隠滅など悪評もあるのであるが、それこそ超高速で中国全土を網羅しつつある路線網は特に短距離・中距離の移動では我々も誠に便利である事を認めざるを得ない。速いし清潔である。そして車両に登って乗車する必要の無いバリアフリーである。あまりの突貫工事で多くの駅のプラットフォームはあちこちへこんでいるのが気になるが、いずれ突貫工事のつけは出てくるだろう。プラットフォームへの入り口や、車両の扉の横壁には子供の背丈をチェックする高さ  seso_141229_01seso_141229_02表示がされているのがおもしろい世界で見られない表示だ。子供料金はこの背丈で決められるという。サイズに対する課金方法である。年齢課金では虚偽が多いのも理由だろうと推測できる。つまり大人が子供料金で乗車する虚偽である。多くの国では年齢が基準判断だが、中国では背丈基準だ。虚偽とは話しが別ではあるが、大人並みのサイズの子供もいるのだから、一面合理的かも知れないとふと思った。飛行機の搭乗などは体重の重量課金すべきなのでは無いのかとも思う。特にLCCはそうだろう。預け入れ荷物の超過重量課金は厳しい。35キロの体重と100キロの体重が同じ料金では不合理なはずだ。 ところで中国の髙鉄には自由席が無いし、改札機は直前に発車する車両の切符しか受け付けない。日本の様に自由にプラットフォームには入れない。多分自由席を設定したり、かまわずプラットフォームにお客を入れると、勝手に車両に乗り込み収拾がつかなくなるからというのが理由のはずだ。 以前書いたが、切符を買うにはパスポートを出さないと買えない。そして切符にはパスポート番号が印刷され当人しか使えない。飛行機の搭乗券と同じである。場合によると改札でチケットとパスポートの照合がある場合もある。髙鉄開通の直後しばらくはそんな制限は無く、自動発券機でチケットを買うことが出来たが、数年前に突然それが出来なくなった。理由は一つで、ダフ屋のチケット買い占め防止であるに違いないのである。

「ベトナムお墓」
seso_141229_03先に中国の畑のお墓を記述したが、ハノイの郊外を移動中に、ベトナムも同じであるのが判った。ベトナムの場合は多くが田んぼで、土まんじゅうである場合より、きちんとした石の墓標であるベトナム人の遠いルーツは雲南省近辺から南下してきた中国人である。故人を埋める手法もルーツが同じと見て良いだろう。

 

 

 

 

 

「ベトナム工場、中古機械」
ベトナム・ホーチミン市郊外でタイヤチューブの脱着器や、プロパンボンベの手押し車を製造する工場を経営しているC社長。他にもアルミの射出成形品や、熱間鍛造品を製作して海外に輸出している。塑性加工技術は独学でマスターした。やはり金型製造技術がもっとも困難だったという。この道に入って20数年、2003年に起業したが、途中一回廃業の憂き目にあい、その時一時僧籍にも入っている。 名古屋の客先にあった弊社の300tプレスがいつの間にかベトナムの中古機械展示場に置いてある事が判り、見に行ってみた。展示場とは言っても金目な機械だけシートを掛けてある露天である。その時そこにあったその300tプレスも半ば腐っている様にも見えたものだが、そのプレスが昨年に入ってC社長の鍛造工場で稼働している事が判り、8月に訪問する事になった。驚いた事に、手の込んだ前後装seso_141229_04置(粗地成型プレスによる前工程と、仕上げ成型と穴抜き)による一環ラインのメインプレスに生まれ変わっていた鍛造品の多くは海外に輸出するそうで、さらに製造アイテムを増やす為に、もう少し大きめの中古が欲しいという。工場にあるプレスや金型製造機械、工作機械類は、ほぼおしなべて日本の中古機械を丁寧に自分で整備した物。その技術力には脱帽した。C社長の工場に限らず、ベトナムのローカル企業の工場生産設備はほとんどが日本から来た中古機械なのである。ベトナムの中小企業の工場は日本の中古機械で成り立っているのだ、と言っても過言ではない。日本で使われなくなったスクラップ寸前の機械達をそのままコンテナの中に入りきれないほど押し込んでベトナムに送り込んでいる日本の中古業者の存在がある。廃業した工場からただ同然でもらって来た物も多いのではあるが、こうしてベトナムの工業生産にお役に立っているのであればそれはそれで良しとすべきなのであろう。そのたくましさと技術力で利益をどんどん上げてもらい、いずれは日本から新品の機械を胸を張って購入するまでになってもらいたいのである。

「移動中寝ていられないベトナム。中古屋のタマ減少」
ホーチミン郊外の車での移動は眠くなっても寝ていられない。正直なところ居眠りしたいところだが、中古機械店があちこちで山積みになった中古機械を販売している。弊社のプレスも何度も見つけた。遠見から自分たちの製品は何となく臭うのであるから不思議だ。もしかしたら、と、近くに行って見ると弊社のコピー商品だったりして笑えない事もある。そんな中古屋も最近少しずつ減って来た。もうタマが無いのであろう。中古機械のほとんどが日本製である。中国製も台湾製も韓国製もほとんど無い。それも40年も50年も経った古い機械で、こんな古い機械がまだ使えるのも日本製であるからなのではあるが、日本の工場の廃業もほとんどし尽くしてしまったと見て良いのだろう。次はいよいよ新品だろうか?中古の性能の良さの実績から是非日本の新品の機械を、と望みたいところだが、どうしても価格がネックになってしまい、台湾や韓国製、はてまた中国製を選択されてしまう可能性も強いだろう。使ってみれば判るから、その次は日本製に間違いない。道のりは気の遠くなるほど長い。

「歴史教育」
中国や韓国が日本の歴史教育の不備をしばしば突いてくるが、8月15日の戦争が終わった記念日のテレビニュースで、若い人達が日本が第二次世界大戦をどこと戦ったのか知らない人が多いのにびっくりし、日本の今の歴史教育がかなり不備であることを認めざるを得ないと思った。歴史の教育は古代から始まって新しい時代に繰り下がるので、多分昭和史に入るまえに学年の一年が終わってしまい、時間切れになってしまうのだろう。だから教わっていないと推測できる。 今現在の日本の繁栄があるのは、どん底から這い上がった戦後、尊い命が失われた戦中、戦争に入って行ってしまった昭和初期、大正時代、日本の近代化への基礎を築いた明治時代、今に続く職人文明をはぐくんだ江戸時代と、各世代の尊い努力の積み重ねから成立している。時代の区切り区切りで現代から遡上して教育できないのであろうか? 決して良いと言う訳ではないが、平安時代あたりまでさかのぼった所で時間切れになってしまっても、大した事では無いのではないと思って居る。

「台湾・日本・アメリカ」
昨年11月に台湾の高雄で「アジアフォージ」という鍛造の国際会議があった。同じく昨年の6月から7月にドイツ・ベルリンで開催された「国際鍛造会議」のアジア版である。国際の方が3年に一回、アジアフォージが2年に一回で、昨年は両方が同じ年に重なってしまい、両方ともスポンサーとしての協賛金に大出費の年であった。弊社は前回の韓国に引き続き今回もインフォーメーションブースを開設し、今回はプリゼンテーションも行    seso_141229_06ったseso_141229_05台湾は地震もあれば温泉も有り、新幹線は日本の技術だし、親日であり、およそどこに行っても日本と似た居心地だ。更に漢字圏である事も有利で、地下鉄だって、鉄道だって何の不自由も無く使えるのである。 最近の元大統領・李登輝氏の著書にもあるが、戦時中似た様な環境にあった台湾と韓国が(日本の支配下にあったという意味で)、現在なぜ台湾が親日であり、なぜ韓国が嫌日であるかは、それぞれの歴史の長さと深さの違いからであるという理由がもっともらしい。韓半島の韓民族の長い歴史と文化から比べると、台湾における中国の人達はつい最近台湾に来たと言っても良いほど歴史が薄い。アジアフォージでも最後のパーティーでの演芸は高砂族の踊りであった。 台湾の歴史は1600年頃(日本の関ヶ原の合戦のあたり)のオランダの統治から始まると言っても良く、それ以前は元々居住していた原住民(今で言う高砂族など)の人達や、日本の和冦の拠点や中国船の一時的寄港地でしかなかった。琉球にあった王朝の様な存在は無かった。オラン  ダは現在の台南にある安平に城塞を作り、アジアの中継ぎ貿易地として活seso_141229_07seso_141229_08用したオランダのアジアの最大の植民地はインドネシアである。オランダは当時鎖国中の日本が長崎の出島で唯一の西欧諸国との貿易を許した国でもある。蘭学と呼ばれる西洋文明の唯一の窓口であった。台湾の古い別称であるフォルモーサはポルトガル語で、ポルトガルが台湾にもっとも早く来たからである。ポルトガルはマカオに拠点を持ち、織田信長の時代に日本にも布教活動で到来した事は周知の事実である。鉄砲をもたらしたのもポルトガルである。 中国では明が清に変わる時で、清と戦った鄭成功が台湾を自分の拠点とすべくオランダを駆逐したのが本格的な中国による統治の始まりで、その後清が統治し、日清戦争後、日本が統治することになる。従って中華民族による台湾の統治は鄭成功が台湾支配下に収めた 1660年頃からであり、日本統治の時代を含めても現在に至るまで、たかだか350年程度の歴史しか無いと言って良いであろう。中国大陸における長い文化は受け持つも、台湾の中で発祥した訳ではなく、渡来文化である。その後の日本統治では文化の発展と共に多くが日本式になってしまった。 本質的に、日本も渡来文化である。仏教をはじめとする多くの文化は渡来であり、外から来る物を抵抗なく受け入れて自分の物に味付けをしてきた。戦争中は反米であったのが、負けたとたん親米になったのもその筋があったからと思っている。

「インド総選挙」
有権者数8億を超え、9期間5週間をかけて行われたインド下院総選挙は5月16日から開票作業が行われ、定数545議席の内、272議席と過半数を制したナレンドラ・モディ氏の最大野党・インド人民党(BJP)が圧勝することになった。建国の父、ネルーの政党で「ネルー・ガンジー王朝」の支持母体である国民会議派は44議席で過去最悪の惨敗となった。seso_141229_09そして国民の期待の中、5月26日、モディ氏が第18代インド首相に就任した。モディ氏はこれまで、雇用の創出と効率的でクリーンな政府を公約しており、これが多くの国民の支持を得た。また、首相就任の際は経済成長の押し上げに向け、停滞する電力や道路、鉄道プロジェクトへの投資の再開を目指すと表明している。 これほど多数の与野党逆転劇は、閉塞感の強いインドの改革を大きく期待したインド国民の選択であった。多くの国民は汚職にまみれた役人に憤りを持っており、古い体質から抜けきれない行政や、それをコントロールし改革できない政治に対して長い間不満を持っていた。インフラの整備が遅々として進まないのもこれら政治と行政の怠慢であると見られている。長期に渡り政権を担った国民会議派が国民から見切りをつけられ、グジャラート州首相時代に多くの改革実績を残したモディ氏率いるインド人民党に軍配を上げた事になる。しかしながら、いずれの場合に於いても既得権を持つ行政側がそう簡単に改革に応じるわけが無い。改革が進められるかどうかは、ひとえに、いかに既得権を持つ役人を引きずり下ろせるかどうかと換言しても差し支えないだろう。道のりは険しいが、庶民の期待は大きく、2015年頃から景気は回復すると断言する人達は多い。

「コミュニケーション」
意思疎通、コミュニケーションがどうも最近上手く図られない。取り違い、解釈の違い、勝手な理解と思い込み、気配り不足が多くのミスやトラブルを生んでいる。外国人とのコミュニケーションは考え方自体が違うので、もっとやっかいだ。だから英語を使う際は、形容詞と副詞を沢山つかうべきだ。「ごはんを食べた」、と言うのでは無く、「すでにご飯を食べた」と、「すでに」、を付け加えるだけで誤解が生じない。言葉の回りに沢山の飾り付けをする事により誤解が生じなくなる。しかし、いわゆる考え方の違いにはもっと注意が必要だ。英会話で、問「ごはんを食べたかい?」答「まだです」問「え、まだなの?」答「はい」と言うと、まず百%「いったいどっちなんだい?」と腹をたてられるだろう。英語は事実主義だから「食べてない、つまりノー」はいつまで経ってもノー、どう質問されてもノーとこたえ無ければならない。他方日本語は質問に対してイエスとノーを使うので、英語での回答とはイエスとノーが逆になる事がしばしばある。「まだなの?」と聞かれても「イエス」では無く「ノー」と答えなければならない。 人類はアフリカで発祥し、北上してから右と左に分かれて進んだ。左に行ったヨーロッパ人と、右に行ったアジア人。ここで袂を分かって多くの考え方と文化が違って行った。地球は丸い。だから双方は進んで行くにつれ、また距離を縮めて行くのであるが、双方が再会を果たすのはアメリカ大陸であり、征服と隷属の関係であった。

「ゆとり教育」
最近、鬱を煩う若い人が増えたと、最近親しい社長さんとの会話のなかで話題となった。確かに増えている。根性が無くなったと言ってしまえばそれまでだが、困難な事に遭遇するとたやすく落ち込んでしまう傾向にあるのではないかと思っている。競争をしないで、勝った喜びと、負けた悔しさを味わっていない、ゆとり教育の弊害が今になってでてきていると思うのは私だけだろうか?人間の力は競争によって磨かれる。スポーツの世界がそれそのものだ。生きとし生ける実社会も同じ。勝ち負けはどうしても存在するのであるから、どうしても競争は避けて通れない。2020年開催予定の東京オリンピックに向けて、すでに若いスポーツ選手達はしのぎを削る訓練に邁進している。金メダルに向けて、365日気の遠くなる練習の積み重ねで、頭が下がるが、人生運や社運の向上もこれと同じく努力の積み重ねの結果としてでてくるはずだ。皆様の、本年のご健闘を祈念いたします。

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