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世相

平成26年 正月

  • 2014年01月

「アメリカ起業」
ヨーロッパ最大の工作機械見本市EMO ショー、二年に一回ドイツ・ハノーバーとイタリア・ミラノで開催される。ドイツ、フランス、イタリアの回り持ちであったがフランスが辞退したので、ドイツが続けて二回そしてイタリアの順になる。2013年はハノーバーでの開催であった。ヨーロッパのみならず、ロシア圏、アフリカ、アラビア圏、南北アメリカ、インド中国を含めた広範囲なアジア圏からの訪問客があるので顧客開拓について効率の良い展示会であり、弊社もずっと出展を続けている。南米市場の開拓はまさにEMOから始まったのである。 ミスター.張は弊社の目の前の小間のウォータージェットマシンの会社の社長である。アメリカ・ワシントン州に本拠がある会社なので最初は中国地区の担当者なのでは無いかと思っていたが、遠目で見ていた限りでは白人スタッフに指示を出していて、相当な地位なのかと思っていた。挨拶をしてみるとファウンダーなのだそうだ。創業者だ。香港出身、水で金属を切断するこの装置に将来性を感じ、創業したと言う。アメリカは古い歴史のある会社が撤退する反面、この様に新規参入する企業も多く、懐の大きな依然アクティブな国だ。それはもちろん企業経営の主旨が資産の運用である事が主因ではあるのだが、コンピューター上でお金をもてあそぶ資産運用だけでは無く、まだ依然工業分野での投資が継続しているという事実は、当分アメリカは大丈夫だと考えてよいな、とふと思った。

emohannover

 

 

 

 

「中国、外来語、看板」
喜来登(シーライトン)、希?頓(シアートン)、家楽福(チャールーフー)、全家(チェンチャ)星巴克(シンパーグー)麦当労(マイタンロー)、肯徳基(ケントッチ)、羅森(ローセン)宣家(Ikea)。日本では平仮名、片仮名という便利な文字の発明で外来語の表記はいたく簡単で手っ取り早い。(ただ時としてネイティブにはまったく理解できない表記になってしまっている事もある。たとえばマクドナルド。ネイティブにはまったく通じない。メタノールと発音したほうが通じるかも知れない)漢字しか無い中国では外来語の表記に苦労している。最初に列記したのは、シェラトン(ホテル)、ヒルトン(ホテル)、カルフール、ファミリーマート、スタバ(コーヒー)、マクドナルド(メタノール?)、KFC, ローソン、イケアである。多くの場合発音を中国漢字の発音に近い物に当てはめている。 ただ全家はファミリーマートのファミリーの翻訳。星巴克に至っては、スターバックスのスターは漢字の翻訳、バックスの部分は発音の転換のミックスだ。外来語発音の漢字表記といっても、その多くがかなり違った発音になってしまっているので、たとえばタクシーでホテルの名前をつげてもほぼ百%わからないので苦労する。「ランドマークホテル」と言ったってどの運転手も絶対にわからない。「リャンマーフー」でないとわからない、それもフーは日本語発音のフーではこれもわかってもらえなく、ホとフの中間を口の奥、のど元から発音しないと理解してもらえない。どうしようも無くなると最後は漢字だ。「亮馬河」と書けば良いが、ランドマークから亮馬河への漢字変換発想もこれまた大変。漢字のわからない、初めて来た欧米人は絶望的だろう。 ところで漢字には日本で作られた漢字もあり、同じ漢字が中国には無い場合がある。私の苗字の榎がまさにそれで、多くの場合私の苗字は勝手に夏本にされてしまうのであるが、活字がなければ仕方がないと諦めている。ただ展示会の看板などはコンピューターのデザインで何とかなるのか、木と夏をくっつけてくれ、榎の字を作ってくれるのである。

「中国、ネガティブ教育?」
毛さんは弊社が懇意にしている日本の商社の新人である。上司の劉さんの中国市場での仕事の負荷が年々増加し、両手で抱えきれなくなり始めたので、毛さんを片腕として養成中である。ベテランの劉さんは日本国籍を持ち、家族も日本で生活している。もちろん日本語堪能で、韓国語も韓国人並みなので東アジア地区では鬼に金棒だ。 秋に上海で開催された中国国際工業博覧会の弊社小間を両名が手伝ってくれる事になった。 勉強熱心な新人毛さんは夜、弊社のパンフレットやホームページで弊社の製品を勉強してくれていたらしく、朝のタクシーの中で早速「スクリュープレスのデメリット部分は何でしょうか」という質問が出た。おー、デメリットにまで到達したのでは相当勉強したらしい、と感嘆。一通り回答をした。その直後上司の劉さんの毛さんに対する攻撃である。ろくに知識も無いうちにデメリットを追求するのは尚早であるという主旨だ。良くも悪くも日本の事を良く熟知している劉さんにとって、初っ鼻からデメリットの質問を出すのは失礼であるという考えだったのであろう。私はデメリットまで追求する程メリットを勉強してくれたのかなと、好意に取っていたものだが、たしかにそうかも知れない。ネガティブな部分を追求するのはかなり内容を熟知してから、次ぎのプロセスとなる。 毛さんはいわゆる江沢民以降の教育を受けている。教育システムを子細に研究している訳では無いので誤解かも知れないが、まずネガティブな部分も追求するという教育があるのかも知れないとふと思った。

「インド、ベジ・ノンベジ、ミスターシャルマ」
インド・マハラシュトラ州オーランガバードのホテルの夕食での一コマ。同行の名古屋の社長さんはインド初出張、何もかも驚愕の世界である。特にインドのベジタリアンがなぜ野菜しか食べないのか理解ができない。ステーキ、焼き肉、焼き鳥、まあ刺身はともかく蟹・エビ・貝やあまたある魚介類、はてまた卵までダメなら一体食べる楽しみがどこにあるのだろうか?という事でもっともな話だ。同席のインド客先のミスターベジタリアン氏。菜食であっても食材はバラエティーに富んでおりなんら不自由はしない。生き物を食べるのは野蛮だと反撃(そもそもインドでは上位のカーストはベジタリアンで、ベジタリアンは身分が高いという矜持が底流にあるらしい)。彼は何度か日本に来ているが、もちろん日本でも野菜以外は絶対に口にしない。名古屋のミスターノンベジはインドではそれも良いが日本に来たら日本の風習に従うべきだと反撃。日本人がアラスカ奥地に行ったらエスキモーの風習に従ってアザラシの生肉や生の内臓肉を食べるのかという事と同じレベルの問題だからもちろんそれは無理強いだろう。 だが、菜食主義者も牛からでるミルクやその加工品のチーズは食べるのであるから、ちょっと理屈が合わないのではないかと思う事はしばしばある。菜食主義者の主義はもちろん尊重するが、実際のところ食材という観点からすれば彼らの選択枝は明らかに少ない。 インド・エリートビジネスマンの日本体験記「喪失の国、日本」という本がある。表題の主旨はさまざまな価値を日本は喪失しているということであるが、その本の内容自体は実におもしろおかしい。インド文明が日本文明にはじめて遭遇した際の驚愕な体験記だ。著者M.K.シャルマ氏は1992年から94年までインド市場調査会社の日本駐在員として東京に滞在する。ラジブガンジー暗殺後ナラシマ・ラオ政権となり経済危機を乗り切る為に大幅な規制緩和を実施しはじめた頃である。今からかれこれ20年も前の事であるから日本もインドも実際は大きく変化してしまっている。 さて、ベジタリアンのシャルマさんは着任早々世話をしてくれている佐藤さんから夕食に招待される。天ぷら屋だ。「シャルマさん、日本でベジを通す事は不可能です。日本では多少とも肉や魚の味がついていない料理はないんです。天ぷらの衣にだって卵が混ざっています」。シャルマさんは、牛肉以外の物ならばゆくゆくは食べる決意をしていると話すが、同席の皆は手始めにエビの天ぷらを食べる様に薦めるのである。砂漠地方に生まれ育ったシャルマさんにとって、エビはどんな生き物なのかも見当が付かないが、幸い衣に隠れているのでどんな生き物なのかもわからない。シャルマさんは決心してそれを二本の箸ではさみ、恐る恐る口の中に放り込みがぶりとやった。彼曰く「神をも恐れずに言うのだが、正直に言って、それはすばらしく美味であった!」。

「喪失の国日本、ダメもとの国インド」
1992年といえばもう二十年前の事であるから、その時のインド人ミスターシャルマから見た日本感「喪失の国」はかなり変わってきているはずだが、インド人から見た日本は抱腹絶倒である。ウォッシュレットトイレ、排泄行為にも技術知識がいる。前に座った人の尻が目に浮かびそうだ!(もともとインド人は西洋式座り便座が苦手)。シラス干しだろうが、哀れにも気の毒な魚の稚魚達。こんな小さいうちに食べなくても良さそうなのに! 初めての湯豆腐に卒倒(箸を入れ込む鍋料理はインド人には絶対に受け入れられない)。スーパーの鮮魚売り場、野菜売り場に蠅が一匹も居ないという不思議(インドでは生鮮食品に蠅が居るのが常識)。日本にも食にカーストがある(鰻重の松・竹・梅。天丼の並・上・特上など)。カラオケの不思議(インドでは人前では歌わない。卑しい行為に近いから)。ミニスカートで香水紛々の娼婦の様な日本の女性。年に数回しか拝まない日本の宗教観。温泉で卒倒(インド人は人前で裸になることなどない)などなど。インドではまだ毅然として守られている生活規範が日本ではどんどん失われ新しいものに取って変わられて行っているという主旨である。残念ながらこの本は現在絶版で中古本でしか入手出来ない。 私からするとインドは、ダメもとの国インドだ。そのうち色々書いてみようかとも思うが、ミスターシャルマと比べるとかなりレベルダウンかも知れない。ミニスカートで香水紛々の娼婦の様な日本の女性。年に数回しか拝まない日本の宗教観。温泉で卒倒(インド人は人前で裸になることなどない)などなど。インドではまだ毅然として守られている生活規範が日本ではどんどん失われ新しいものに取って変わられて行っているという主旨である。残念ながらこの本は現在絶版で中古本でしか入手出来ない。 私からするとインドは、ダメもとの国インドだ。そのうち色々書いてみようかとも思うが、ミスターシャルマと比べるとかなりレベルダウンかも知れない。

「敗者復活戦」
社長や政治家が、特に個人的事情で降板したのであれば完全に引退すべきであるという考えで居た。個人的に敗者復活には否定的な考えであったが、どうやらこの考えは改めるべきでありそうだ。もちろん当人の意欲と実力によるべきである事は言うまでもないが、再登板の強い意志があるのであれば、敗者復活の道は開けておくべきであろう。もちろん安倍総理の事例からの反省である。

「お釈迦、おあし」
「お釈迦」は鋳物職人の隠語から出た言葉で、阿弥陀像を鋳るはずが、誤って釈迦像を鋳てしまったことからといわれる。機械業界では加工中に失敗をして不良品を出してしまった場合にまだ良く使われる言葉であるが、語源を知っている人はあまり居ないだろう。物事が駄目になることを「お陀仏」と言うこともあり、不良品を作ってしまって損害を出した後ろめたさを、仏さんに助けを乞う形で出た言葉と考える方が妥当であろう。お釈迦様を作ってしまったのなら親方に許されるとでも言うことであったのであろうか? また、博打などで無一文になることも「お釈迦になる」と言うが、この場合の「お釈迦」は、花祭りに水をかけられるお釈迦様のように、裸にされるということから出た言葉で、作り損なった製品や、使い物にならなくなった意味の「お釈迦」の語源とは関係ないと思われると言う事だ。弊社の若い社員が「お釈迦」を沢山こしらえてくれるので、その語源を調べて見た次第。 お足、お金の事である。もとは女房ことば。お金はあたかも足が生えているかのように行ったり来たりすることから、お金を「足」にたとえ、女性言葉なので接頭語の「お」が付いて「お足」となった。お金に足がついている、今の若い人達には実感の言葉ではないのだろうか? 中国晋時代の『銭神論』にある「翼なくして飛び、足なくして走る」が語源ともいわれるが、女房ことばは自然に発生したものばかりなのでそうは考え辛いと言うことだ。 『銭神論』は直接の語源ではなく、日本の「お足」と『銭神論』の「足」は、同様の発想から生じたと考えるのが妥当であろう。 なお、旅費などをいう「お足代」の「足」は車など交通の手段を指しており、お金そのものを指す「お足」と関係するものではない。最近「おあし」などと言う人は居ないし、言われてもわからないだろう。小さな頃たばこ屋に使いにやらされ、たばこやのおばあさんに「おあしは?」と良く言われた事をふと思い出した。お釈迦の語源を調べている際に、昔そんな言葉もあったと懐かしくおもいだした。

「タイ、機械展示会」
昨年十一月に開催されたタイ最大の機械展示会、タイメタレックスは来場者数七万人越えと、過去最大規模で四日間の幕を閉じた。テントブースでも収容が出来ず、ジェトロブースなどは、小間申込受付開始十分後に満小間になってしまい、それでもキャンセル待ちの会社が多数であったという事だ。しかしながら、タイの昨年の自動車販売数は前半年期で十%の落ち込み、後半半年が二十%の落ち込みで通年ベースで約十%の落ち込み。多くの投資案件が凍結されてしまった。政治も不安定。インラック首相が法律を変えて兄のタクシン元首相のタイ帰国を強行に図ったものだから、反タクシン派の黄色シャツが大々的反政府デモを実施した。やぶ蛇という言葉もあるが、インラック首相が陰から糸を操られているというところだろう。もちろん操っているのはタクシン自身だ。インラックが藪をつついたのだが、後ろから手をさしのべていたのはタクシンであるはずだ。政治的混乱がタイに暗い影を落とす。

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「インドネシアホテル、スリッパ」
インドネシアのホテルの朝食、やけに部屋のスリッパ履きのインドネシア人が多い。一流ホテルだ。ホテルのスタッフ達も別にとがめるでも無く、常態化しているのであろう。西欧流であれば、このマナー知らずが、という事になるはずだ。日本でも昔は多かった。ホテルのボーイがエレベーターの所で口やかましく注意したり、ホテルのドアに注意書きがあったのも良く覚えている。そもそもインドネシアは裸足で座敷であったはずで、どこで何を履いてどこに入ろうが区分けはなかっただろう。今でも多くはサンダル履きだ。スリッパとサンダルに大きな区分けが出来るわけが無いかも知れない。日本はわらじと座敷だった。座敷と外は厳格に区分けされ座敷に上がるにはわらじを外し足を洗って上がった。座敷に履き物は無い。そもそもが、ホテルの様に靴で部屋に入る習慣が無かったから、スリッパと靴の区別も無かったという事になるだろう。旅館はその中間だ。旅館の玄関からスリッパ履きとなり、館内はスリッパ履きだ。畳の部屋はスリッパを脱ぐ。日本の一般家屋も面白い。玄関を上がるとスリッパだ。総ての部屋はスリッパだが、畳部屋はスリッパは許されない。外国人は戸惑うばかり。

「インドネシア、グリーンランド工業団地」
通称GIIC, 日本の双日とインドネシア財閥シナルマスとの協同事業で開発している工業団地で、ジャカルタからチカンペック高速経由で三十七キロメートル、車で約一時間半の距離にある。開発面積三千ヘクタールは山手線の内側半分の面積に相当するが、その内工業用地は千七百ヘクタールである。名前はグリーンランドだが、現在はぬかるみの茶色の工業団地で名前とはほど遠い。元は湿地水田だったと見受けられる。第一期造成地七百ヘクタールにはスズキが広大な土地を買収し、2014年から自動車の生産を開始するという事であるが、まだ敷地内に工場らしき建物はさほどない。 弊社の日本の客先二社が第二期造成地(六百ヘクタール)に工場を新設する事になっているのであるが、その一方の工場建築現場を訪問した際、びっくりした。双方が背中合わせのカド部で接触していた。競合はしないが同じ自動車ミッション部品の製造会社。インドネシアに設置される弊社のプレスも今後益々増えてゆくのであろう。

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「マニュファクチュアリング・インドネシア」
インドネシア最大規模の機械展示会がタイに続いて十二月に首都ジャカルタで開催された。昨年は建物が増築され、さらにテントブースの面積も広がり、もう展示面積もこれが限度であるはずだ。訪問者数は公式データーがまだ出ていないが一昨年とほぼ同じ三万五千人程度であったはずだ。インドネシアは今年大統領選挙の年。現大統領ユドヨノは法律により続けての立候補が出来ない。ここ順調というか、爆発的に経済規模を拡大してきたインドネシアだが、経済の牽引役の自動車産業の拡大が、交通渋滞を大幅に増幅させるという皮肉な結果となっており、市内どこを見ても道路インフラ拡張が着手されておらず、いずれ遠からず交通インフラの未整備がインドネシアの大きな弱点になるのも間違いないだろう。ただ、自動車会社を筆頭に多くの日系企業がインドネシア進出を加速しており、インドネシアがまた不調に陥る事だけはあっては欲しく無い。

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「東京オリンピック」
今度ばかりは多くの日本国民がオリンピック招致に賛同し、その招致成功を祝った。無責任と無秩序、いい加減に終始した民主党政権(特に鳩山はひどかった)に終止符が打たれ、先の明るさがほのかに見えて来た日本に、さらに強い光を与えてくれる有効な契機になった。決してネガティブな事を言うべきでは無い。長い停滞を打破するには格好のチャンスだ。この七年間、建設建築は良いはずだ。それらが良ければその周りの資材も道具も飲み屋も潤う。周りが動いてくれば、またその周りが動いてくる。相乗効果だ。この七年間が日本復活の最後の勝負だろう。オリンピック後はまた落ち込むからオリンピック前が勝負だ。ネガティブで後ろ向きな連中は置いて行こう。なにしろ前に進む事だ。明るい未来は自分達で切り開いて行くしかない。 本稿はインドネシア展示会のレポートを最後に暑いジャカルタで昨年十二月に纏めました。 皆様の今年一年のご健闘をお祈りします。

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