世相
平成26年 夏
- 2014年08月
「時間は買える?」
時間を買う事が出来るだろうか、出来ないだろうか? 私は買うことが出来ると思っている。医療にかかる費用は増えたが寿命は延びた。医療費で時間を買っていることになる。 ますます便利になる通信機器。通信費用は毎年かさむばかりだが、これも時間を買っているに等しい。飛行機の足が伸びて、北米やヨーロッパには12時間程度で行ける。時間を買っている。昔、船では1ヶ月はかかった。海外支店に異動になった場合は1ヶ月の休暇が取れるという事に等しく、それはそれで良かったらしい。今は船旅の方が飛行機代より高額なので、これは時間を損している事になるが、目的が違う。いずれにしても移動の費用は時間を買っていると考えて良いだろう。限られた人生の時間、その時間をどの様に使うかはそれぞれの自由の裁量だが、時間が無いと嘆く必要はない。時間は上手くやれば買う事が出来る。
「ポセイドンアドベンチャー」
1973年に公開された映画である。大晦日の夜、パーティで賑わう豪華客船ポセイドン号を海底地震によって突然発生した大津波が襲い、一瞬の内に船は転覆。生き延びた人々は生存を賭けて、天地が逆転した船内からの脱出に挑む。そこに留まる事を主張するグループは目の前で水に呑まれ、状況から海面に近いはずの船の後部から脱出するべく移動したグループの何人かは最終的に船の外に逃れる事ができるというストーリーだ。現状維持では無く、前向きに進めば活路は開けるという前進論が根底にある映画である。叩けよ、さらば開かれんである。転覆時のスペクタクルはもちろん、オールスター・キャストによる人間ドラマも見応え充分で、アメリカン・ニュー・シネマ全盛の公開当時、ハリウッド・エンタテインメントの真髄を見せた映画であった。 沈み行く船の中に居れば閉じ込められる。韓国珍島沖で転覆した客船から逃れたのは船長以下船のスタッフ達だった。修学旅行の若い学生達は船内に留まる様にという船内放送に正直に従って多くが船と運命を共にした。逆じゃないか。韓国世論が激高するのも当然だ。あぶなくなった船はいずれ沈むから早く逃げた方が勝ちなのである。一度離陸した飛行機は、過去は着陸するか・不時着するか・墜落するかの3つの内のいずれかだと言っていたが、最近の事例では、行方不明になるか、撃墜されるかのもう2つを追加する必要になった。落ち行く飛行機からは脱出するすべは無い。万一があれば、船の方がまだ生き延びられる確率は高いのである。 総ての物には重心がある。速度とカーブと重心には相関関係がある。重心が高く、速度が速い状態でカーブを曲がれば転倒する。韓国の客船も福知山線の転覆脱線も同じである。状況に応じて速度を制御するのが運転士の主務である事は言うまでも無い。
「国際鍛造会議、ドイツ・ベルリン、電力事情」
3年に一回、アジアと米州、ヨーロッパ各地で交互に開催される、主に熱間鍛造業界の国際会議が今年六月、ベルリンで開催された。3年前のインドに引き続き、弊社は今回もインフォーメーションブースを設営した
セッションの技術発表で多くの話題となったのが省エネである。 主催国ドイツは早々と脱原発を政府が表明した。その反動は将来の電力費高騰となるので、多くのドイツ鍛造企業が懸念を表明している。電力をフランスから買う?フランスは多数の原発だ。フランスから買うのならば問題の付け替えでしかない。いいこと言いのドイツになってしまう。会議の後の工場見学ツアーで、フォルクスワーゲンの工場を訪問した。ここには自前の発電所を持って居る。勿論火力発電所だ。企業理念とその実現としては非常に高潔なやり方ではあるが、フォルクスワーゲンのごとく超大企業だからこそできる事だ。一般の民間企業では夢の話だ。鋼の熱間鍛造は鉄を千度以上に加熱するからエネルギーをべらぼうに食う産業である。鋳物と同じく、電力費は業態の趨勢を左右する大きな要素であり、国際競争力を維持するには安い電力は必須なのである。誰しも危険な原発は有り難くは無いが、だからといってこれを全部否定しては現状では産業の維持は成り立たないのであり、当分は多少の妥協も必要であるのは当然の帰結なのである。
「中国、家族主義、日本、個人主義?」
日本のインド料理屋に4人で入り、チキンとかオクラとかのカレーを3品とナン(インドのパン)を4人分頼んだら怪訝な顔をされた。理由はカレーを4品注文しないからだった。 定食に代表される様に日本の食事は一人一人の限定品が多い。懐石料理はそれぞれの料理が一人一人の小鉢に盛り分けられて出てくる。他方多くのアジアの国では多数の料理を皆が取り分ける。中華料理の回転テーブルはその代表であるし、インドのカレーもそれぞれの料理を皆で分け合う。4人居てもカレーは3品でも2品でも状況により十分なのである。日本も戦後ある時期までは丸い卓袱台(ちゃぶ台)というのがあって、家族がぐるりと卓袱台を囲み出来た料理を分け合ったものだが核家族化して状況はだんだんと変わってきてしまった。あるとき韓国人に「日本人の悪いところは何か?」と聞いたら即座に「個人主義」という返答があった。その時何をもって個人主義なのかもっと問い詰めれば良かったのかも知れないが、こんな食事の所作にも個人主義的な雰囲気が影響しているのだろう。
「中国、お墓、百姓」
以前西安の郊外に何度か足を運んだ事がある。鶏宝(バオジー)と言う所で、ここには大型プレス二台を納
入した。長い車の移動中、畑のそこここにこんもりと盛った土饅頭の墓が沢山あるのに気づいた西安に限らず中国のあちこちで髙鉄(新幹線)の車窓から眺める田園風景の畑に同じ風景が点在しているのである。新しいお墓には埋葬の装飾がまだ残って居るのでありありとお墓である事が判る。3世代以上経過すると、もう誰のお墓かも判らなくなり、いずれお墓も畑の中に埋没してし、故人も土に戻り、肥料となって野菜が育つ一助になるのであろう。きわめて自然なプロセスだと思った。多くのお百姓さん達の永い間の輪廻転生である。 百姓と言うと、日本では一種侮蔑の言葉になるが、中国ではまったくその様な事はない。 百姓の語は「天下万民・民衆一般」を指す意味である。老百姓と言うと一般庶民を指すらしい。日本でも当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。しかし、古代末期以降、多様な職業に従事する特定の身分の呼称となり、具体的には支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓とされた。この階層は現実には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していた。しかし、中世以降次第に百姓の本分を農とすべきとする、実態とは必ずしも符合しない農法主義的理念が浸透・普及し、明治時代以降は、一般的に農民の事を指すと理解されるようになった。 日本の古代の用例には漢音と呉音の混交した「ひゃくせい」、中世以降の用例には呉音の「ひゃくしょう」の読みを当てるのが慣例である。「ひゃくしょう」と言えば、日本では多くの場合相手に対する侮蔑となる。時と場所によって同じ言葉が侮蔑語になるのであるが、特に漢字圏の国々では多くの事例がある。お隣の国の南と北の国名も時として問題になる。昔NHKがお隣の国の会話講座を始める際、「韓国語講座」にするか「朝鮮語講座」にするかで深刻な論議があったそうだ。在日の韓国と北朝鮮の人達双方からの抗議である。結局最終的には「ハングル講座」で決着させたのである。やっかいな事だが相手側の心情に配慮するしか無いだろう。
「ホテル水はけ、中国インド」
中国とインドの五つ星のホテル。まず立派な外観とその大きさに圧倒される。新しいホテルはデザインにも凝って、すばらしい、の一言だ。 ただ、建物に入るとこの印象は一変する。部屋の立て付け、特にインドは繊細さが無く雑な押しつけ仕事が多い。引き戸がぴったりと合わない。タオル掛けが落ちる寸前、施工の際の加工用の印がそのまま残っているなど。そして両国に共通しているのが水はけの悪さだ。多くのシャワールームの水はけが悪く、水が外にあふれ出してしまう。うっかりしているとトイレまで水浸しになってしまい往生するのである。せっかくの良いホテルが台無しだ。 最近、インドの五つ星ホテルのシャワールームのタオル掛けがぐらぐらで、予約を取ってくれたインド商社のスタッフにそんな悪意も無く伝えたところ、早速ホテルのマネージャーに強硬なクレームをつけ、同じ部屋代で広いスウィートルームに変えてくれたものだ。これも実にインドらしい。「だめもとの国インド」だ。
「中国展示会の最終日」
中国の展示会。ほとんどが最終日は片付けの日だ。かなり規模が大きく格式のある展示会でも昼をすぎると5時の終了を待たずに撤去がそこここの小間で始まる。朝から撤去を始めて昼にはがらんと何も無くなっている小間もある。それが長い間の通例になってしまっているのだろうが、最終日の入場者数は激減する。私も見学だけの目的である場合、展示会の最終日には行かない事にしている。中国の展示会の最終日は撤去の日で見学の日では無いのである。
「インド、カップヌードル」
チェンナイの新国内線ターミナルがようやく供用開始された。汚くて不便だったものが、面目一新である。空港
内の売店にうず高く積まれた日本のN社のカップ麺。勿論多くがカレースープのインド味だし、ベジタリアンとノンベジは現密に区分けされている。日本でカップヌードルが販売されてから数十年はたったのであろうが、インドはまさにその時と同じ道をたどりつつある。特に学生達の昼食に大人気らしい。お湯さえあれば良いのだから。
「インド、アンバサダー」
1997年に始めてデリーを訪問した時、デリーを走る自動車は、スズキ自動車の合弁製造によるマルチスズキの小さなアルトと、インドの国民車、ヒンドスタンモーター製のアンバサダーがほとんどだった
。今やデリーでは両方共見つけるのも困難になったが、いよいよアンバサダーも生産を終了したという事である。アルトはとっくの昔に製造は終了し、スウィフトなどの後継車に製造ラインを譲っている。国営企業が製造する乗用車だったが故に、アンバサダーは継続して生産の一定量を政府お買い上げに頼っていたものだが、政府高官もいよいよアンバサダーに乗る事を拒否し始めたのだろう。ベンツやBMWやカムリと比べたら二度と乗りたく無くなるのは誰もが理解できる。 インド自動車業界に一つの歴史の幕が下ろされたのである。
「短い髪用シャンプー」
短い髪用のシャンプーというのが売っていた。消費低迷の昨今、あれもこれも買わせようと色々苦労しているのだなと感心した。髪を洗うシャンプーなど風呂場に一つあれば済みそうな物だが、女性用、男性用、さらさら髪用、油髪用、長い髪用、短い髪用と一体何本シャンプーを置いておいたら良いものなのか。私の子供の頃、多くは体を洗う固形石けんで頭も洗っていたものが、小学校の頃には一回分分包の粉のシャンプーが出てきた。東京オリンピックの頃に液体シャンプーが出てきて、使い終わった容器を油差しなどに使って重宝していた記憶がある。
「靖国、井の中の蛙、グレゴリークラーク」
多摩大学の学長もつとめた事のある、グレゴリークラークは、始めて日本に来た時の感想を、イングリッシュジャーナル誌で、次の様に述べている。始めて中国へ行った時も韓国へ行った時にも、多くの友人の警告話とは違い、それぞれの国は特に違和感は無かった。生活も友達を作るのもまったく西欧諸国との違いは無いと感じた。しかし日本だけは違ったという。周囲から見る日本は多くの別の国と違い特殊な存在という事なのであろう。恐らくそれは、江戸時代の名残であると思っている。西暦2014年の日本にはまだ江戸時代の風習の名残があるという事だ。良い事例は先の東北大震災での一致団結した助け合いと復興(略奪窃盗は無かった)。多くの中小企業のあきらめの悪い一途な技術の研鑽(赤字が続いたからといって会社を売り飛ばす中小企業経営者は少ない)。低下したとは言えまだまだ存続するモーラリティー。ゴミを散らかさない、整然と並ぶ、列車内では携帯電話は使わない、等々。しかしながら悪い部分も相反してあるのも事実だ。直言して、井の中の蛙。なにしろ外交が下手くそなのである。外交は相手・周囲との押しと引き、駆け引きであると同時に騙し合いなのである。希望する結果はおおむね一つに集約される。結果をもたらす為に駆け引きと騙し合いをする。数手先を読んだ外交をしてもらいたい。
「毒入り餃子、農薬入冷凍食品、そして賞味期限切れチキン」
マルハニチロのアクリフーズの冷凍食品への薬剤混入事件。まさか日本でも、と日本人と日本の信頼関係と矜持の気持ちをずたずたにしてくれた事件であり、その社会的責任は非常に重い。日本のレベルも、なんだ、そんなものだったのか、という事であって面目をすべて失ってしまった事件である。 再びチキンの賞味期限切れ製品の販売で中国製品の問題が発生しているが、マルハ事件があったが故に日本もあまり大きな事は言えなくなってしまった。食の信頼を裏切ったマルハニチロの道義的・社会的責任はあまりにも大きい。
「検索機能」
展示会など営業活動が数重なると手に持つ名刺の数も莫大になる。日本のみならず世界各国の名刺が、ずらりと並んだ名刺帳ファイルに収納される。欲しい目指す名刺を見つけ出すのが一苦労になってしまうのである。弊社では社員の個々個人が頂戴した名刺を保管する事を禁止している。すべての名刺はスキャニングしてデーターで管理し共有している。 社長である私は、そのデーターはメモリーに入れて常に持ち歩いている。段ボール何箱にもなる名刺帳を常に持ち歩いているのと同じである。欲しい名刺は社名や名前からほぼ一発で検索可能。それにかかわらず、技術データー、営業データーなど多数のデーターも欲しいデーターはパソコンの検索機能で瞬時に取り出す事ができる。もちろんそれらのデーターを適切なタイトル名で整理整頓しておく必要はあるのであるが、この検索機能を縦横無尽に利用する利便性は、昔のペーパーファイルの時代から考えると隔世の感がある。便利な機能は徹底的に積極的に利用すべきなのである。
「サンライズ・サンセット」
アップダウンの続く広大な南米大陸ブラジル、日本との時差は丁度12時間である。広大が故に自動車での移動時間も長くなるが、一日の終わりに本日の宿のある町に向かい車を走らせる。日没の薄暮時太陽は真っ赤に輝きながらはるか地平線上に消えようとしている。冬の夕方6時過ぎ、日本では朝の6時で日の出の時間だ。同じ太陽がこちらではサンセット、日本ではサンライズである。太陽は一つしかない。丸い地球が自分で一回りすれば一日だという事をなぜかふと気づかせてくれるブラジルでの日没であった。
「和食、中国、タイ」
中国、上海の虹橋地区。多くの日本人駐在が住む場所で、和食の店が多い。夕方5時、すでに行列の店、満席の店が多い。覗いてみると多くが食べ放題なのである。客は若い人たちばかり、200元も300元もする(3~5千円)のでよくもまあこんなに多くの若い人たちが入るなあと思うが、仲居の頻繁に料理を運ぶ姿を見るともとが十分取れるほどに食べるのだろう。しゃぶしゃぶも多くの店は食べ放題。険悪な政治情勢とは裏腹に、日本の食文化がしっかりと中国で根付きつつあるのが良くわかる。 バンコク、日本のチェーンレストランは軒並み勢揃いだ。タイ人の食の好みは完全に和食にシフトしている。 ミラノの薄汚いが味は良かった中華料理店。改装して日本食(もどき)のレストランにした途端、行列の出来る店になってしまった。個人的には昔の中国の庶民料理の方が美味であったが、おかしな和食の方がイタリア人には受けるのかもしれないと思った。
「気分はポジティブに楽しく」
5月にメキシコシティーで開催された、ファブテック・メキシコというプレスや塑性加工及び溶接関係の展示会に出展した。今メキシコは世界で一番元気が良いと言っても過言では無いかも知れない。理由の一つはアメリカの工場という立場である。人件費の安さとアメリカの隣であるという地理的好条件から、多くの自動車メーカーが軒並み工場の増築と増産に踏み切っている。部品メーカーの進出も年を追うごとに増えている。ローカル企業が力をつけるにはまだ時間がかかるかも知れないが、展示会を通じて現地企業と仲良くなっておくに越した事はない。 以前は日本航空が直行便を飛ばしていたが、経営不振の折りに撤退してしまった。アメリカン航空との共同運航便でダラスまで行き、そこからメキシコシティー行きに乗り換えるのが便利である。日本を昼前に出ると、同日の夕方にはメキシコシティー空港に到着出来、 帰りはメキシコシティー空港早朝発に乗り、ダラスで乗り継げば順調に帰国が出来る。いずれにしても乗り継ぎ時間2時間程度を含め17時間程度の行程である。 展示会終了の翌日、ホテルを朝3時30分に出て空港へ向かった。出発2時間前丁度、チェックインカウンターで告げられた言葉はフライトのキャンセル。為すすべも無く、唖然とした。天候不良で昨晩ダラスからの飛行機が飛ばなかったらしい。勿論ダラスでの乗り継ぎも出来ず、帰国は丸一日延びてしまうのが決定的になった。別のルート、別の航空会社の選択はチケットの買い直しが必要となってしまう。一日遅れの明日朝便だとまた天候不良で飛ばなかったらえらい事になるので、なにしろ同日中にダラスに移動した方が良いと直感で判断した。取れた座席は午後の便で、あと7時間も、待ち時間がある。順調であれば土曜の午後日本に到着し、日曜はゆっくり休養が出来たのにと恨む気持ちはその場で一掃した。気持ちは良い方に変えた方が体の為になる。搭乗までの7時間は貴重な7時間だ。残務整理がすべて片付く時間だ。ダラスで一泊となればベッドで一晩ゆっくり眠れる。帰宅するのは日曜の夕方になってしまうが、体はゆっくり休ませる事は出来るし、残務も一掃して月曜の朝からの仕事に臨める。気分はポジティブにそして楽しく保つが良い。逆だとストレスが溜まり病気になる。 空港での7時間の残務一掃は、「どこでも事務所」が一つの条件となる。親指大のUSBメモリーに詰まった営業データー、技術データー、総務データーなどとラップトップパソコンさえあればどこでも事務所だ。この原稿のこの項目も今成田行きの飛行機の中でパソコンに打ち込んでいる。機内のパソコン仕事もそろそろ3時間を超えたので、CAにワインを頼もう。飲んで一休みすれば着陸だ。悪い事はしばしば起こるが気持ちはポジティブに楽しくが良い。 現政権の経済対策の良い結果と思うが景気は悪くない。国の負債の一掃はすぐには困難ではあるが、オリンピックまでに返せるだけ返した方が良い。これが最後のチャンスだ。皆様の今年後半のご健闘をお祈り申し上げます。