世相
平成22年 夏
- 2010年08月
「インド・タタ、大山鳴動してナノ一匹」
大山鳴動して鼠一匹という諺があるが、インド各地を回ってみて大々的前評判の20万円カー・ナノを見かける事がほとんど無いのである。実際一週間滞在して2~3台だ。かれこれ一年以上経過するのに奇妙な現象である。最初の発売台数に対し抽選までして購入者を決めていたはずだった。大きな原因の一つは、欠陥が出ている事であり、日本ではあまり話題にはなっていないが、インドでは誰もが知っている。運転中に発火する事故が数件発生した。目下改善に最大の努力をしているらしいが、大方の人は本格的に使われ始めてから1~2年様子見するのがベターという判断をしている。西ベンガル州にナノ製造専用の工場を作ろうとしたが地元住民(農民)の猛反対で工場建設を断念。急遽グジャラート州に移転先を建設と、最初からケチのついたナノである。購入申込から引き渡しまでの期間が長く、その間もローンを支払わなければならないシステムらしい。納車は遅延でローンの前払いに嫌気がさした予約者が解約するケースも多発している様だ。タタは、かつてインディカやインディゴという車をヒットさせた実績もあり、決して技術力が劣っているわけではない。したがって今回のナノの騒動は価格設定にあまりに無理があったという事が原因の一つであろう。誇り高きヒンディーの人達は車も見栄で乗る。当面は二輪所有者のワンランクアップとして代用されるであろうが、いずれ経済の発展に伴って消えて行くはずと見て居る。日本もかつて原付免許で乗れる乗用車がヒットした事があったが(ピザのデリバリー車の様な)、みっともなさと道路上で邪魔にされ消えていった。
「タイ騒動」6月、無残にも一部崩壊したバンコックのワールドトレードセンターをたまたま見る事ができた(写真)。5月の騒動の最中には私も展示会でタイに滞在していたので、あの時の緊迫感は忘れられない。もしも空港へ飛び火していたら帰国できなかっただろう。一応収束したかに見えるが、赤シャツは必ず戻って来ると公言している様だ。日本でもかつては成田空港闘争とか、大学紛争、さらに遡れば安保騒動とか似た様な騒動はあったので決して驚く事でないのではあるが、日本のそれはほとんどイデオロギー騒動であったのが、タイは基本的には貧困層の暴発であると見られている。いわゆる、かつて頻発した大阪釜ヶ崎あいりん地区の貧困労働者の暴動を大きくした様なものだ。それに元首相のタクシンの報復活動が重なり合い、潤沢な資金が流れ込んで騒ぎが大きくなったというのが大方の筋書きらしい。何しろ動員された地方農民や貧困労働層の数に対し、食事からシャワー・トイレに至るまでの必要資金を換算すると1日に1億円程度は必要であったらしい。経済の発展から取り残された地方農民や貧困労働者の反発という図式からすると騒動は簡単には解決しないだろう。似た様な事はインドでも発生している。西ベンガルやチャティスガール、オリッサ州で問題になっている共産主義毛派の武装闘争である。おなじ系列の会派はネパールの王政も倒してしまった。
「シンシナチ」
3年に一度、シンシナチでフォージフェアという専門見本市が開催される。アメリカの鍛造協会が主催する熱間鍛造が主体の展示会で、延べ3日間、講演会セッションと、展示会、食事がセットされている。弊社の製品は主に熱間鍛造に使用される機械であるから、前回に引き続き出展参加した(写真)。
オハイオ州シンシナチは、野球のシンシナチレッズの故郷でもあるが、シンシナチミラクロンというアメリカ大手工作機械メーカーの名前も挙がる工業都市でもある。このオハイオ河畔に栄えた街も景気の後退による影響が色濃く見え、3年前から比較すると、空きビルや路上生活者の数が増えた。会議場近くにあった中華料理レストランもつい最近店じまいしたらしく50数年のご愛顧を感謝しますという閉店の貼り紙が出されてあった。町なかには中華も和食もレストランの数が乏しく寂しいかぎりだ。
展示会自体も3年前から比べると入りが少なかったのであるが、40数人にのぼる中国視察団だけが大きく目を引いたのである。
「クレジットカード」
デルタ航空は支払いの現金での収受をやめて全部クレジットカード決裁に移行した。クレジットカード会社への口銭よりも、現金の管理の方が高くつくからであろう。他の航空会社は調べたわけではないが、おそらく同じであろう。つまるところ、クレジットカードを持っていない者は飛行機には乗れないという事になる。信用社会ではクレジットカードが持てない、つまり与信を与えられない人は何も出来ないという事になる。中国でも似た様な事例でホテルのデポジットがある。クレジットカードでのデポジットが取れない人、つまりカードを持っていない人は、宿泊料の2倍以上の現金デポジットを要求される場合が多い。勿論宿泊料だけ払って飲食その他を多額に踏み倒すケースがあるからである。
アジア諸国では、レストランや飲み屋での支払いにアメリカンエクスプレスカードは嫌われる。一旦持って行っても通信が出来なかったから他のカードは無いか、と戻ってくる場合が多い。またはビザでなければダメという場合もある。勿論現金払いが一番喜ばれるのであるが、アメックスは口銭が若干高いので他のカードに比べて嫌われる。
韓国では高額な飲食は現金払いは出来なく、カード払いだけである。現金払いの領収書では虚偽を働くケースが多いからという理由で政府がそう決めている。
「ミャンマー、サイバーシティー」
3年ぶりに訪問したミャンマーはほとんどのところ変化らしきものが無い。周辺諸国がこの10年に著しく変貌したのに比べ、ミャンマーはずっと変化なく独自生活様式を営んでいるがごときである。しかしたった一つ極端に変わった事があった。ネピドーへの遷都である。役所はすでにあらかた移転してしまっており、輸出申請に往復1日をかけてヤンゴンからネピドーまで行くのは著しいロスになったと、工場進出をした日系メーカーはぼやいていた。もっとも現実的にはもっと痛いのは電気が来ない事らしい。工業団地内の工場に電気がまったく来ないのだそうだ。自家発電のコストアップが金銭的にはもっとも手痛いとの事である。
我々の様な短期訪問者にとって最も手痛いのが携帯電話が使えない事だ。海外から持ち込んだ携帯電話は一切ローミング出来ない。シムを買うにも2ヶ月前に申請が必要との事。
またシムをいちどきに何枚も買えるわけでは無くなぜ枚数が必要なのか理由を申請しなければならないらしく、従ってレンタル携帯も無い。インターネットは一応フリーワイファイは高級ホテルでは用意されており、Gメールは大丈夫らしいが、エクスプローラーは一切通じなかった。ウエブサイトの検索は可能で、私はそれを使って日本のプロバイダーにアクセスし、メールの交信がなんとか出来た。ただミャンマー第2の都市マンダレ‐では、ヤフーやグーグルを含む一切のウエブが開けず、何がフリーワイファイだと頭に来たものだった。ミャンマーへの出張はこんなわけで3日が限度だ。マンダレ‐市内から山岳部に入り、メイミョウ(ビルマの軽井沢と言われ、かつての日本軍のインパール作戦拠点地)に至る道中の半分ほどの山中に、サイバーシティーができつつあり、訪問するチャンスがあった(写真)。
過積載が常の小型トラックなどは、峠の途中の休息場所でオーバーヒートしたラジエターの水を交換してもらっているのが誠に面白く見えた
(写真)。当時この道を、日本陸軍は3週間分の米と重い銃器をかつぎ、徒歩でインドのインパールを攻略すべく進軍したと思うとなにを無謀な事をと今更ながら感じる事ができるのである。メイミョウの先には道路も無い、標高3000メートル級の密林のアラカン山脈が延々とそびえ、そこで餓えとマラリア・赤痢などにむしばまれた兵卒約5万人以上が白骨と化したのである。帰還できたのはおよそ2万人であるが、アラカン山脈に入った兵卒はほぼ全滅した。戦局が不利になりつつある日本からビルマを奪還すべく、ビルマ方面軍の背後から突然予期せず出て来たイギリス軍(当時インドはイギリス領)に先制攻撃をかける目的であったらしいが、当時の司令長官が無計画に強行した無謀な作戦であった。
サイバーシティーはミャンマーのコミュニケーション省が国策を以て2006年から建設を開始した工業団地で、現在コンピューター通信機器関連と、光ファイバー製造など5社が稼働開始し、他に十社ほどの工場がほぼ完成間近となっている。団地内には専門学校が併設され、2千人の学生が収容でき、現在5百人程度が在籍または卒業している。住宅施設も建設中である。
すでに稼働中の工場はいわゆるノックダウン生産で、部品はほとんどが中国製であった。製品の全量はコミュニケーション省が買い上げる。入居予定の会社も中国系が多数を占めており、中国のミャンマーに対する投資案件の積極性は、他国の追従を許さないものを感じた。
変化が見られないヤンゴンとは言うものの、スーパーマーケットの数量は少しづつ増加し、不動産案件に対する若手実業家の数も増えている。最近創業した後発航空会社のエアーバガンの社長も非常に若いが、当然ながら政府筋(軍)にお友達が居るとの事。
ミャンマーの通貨チャットの対ドル公式レートは一ドル約6チャットである。然しながら市内で一般に使用されるレートは現在一ドル950チャット程。公式レートと実勢レートには驚く程の乖離がある。そのほか、輸出入に係わる企業に割り当てられる交換レートには実績に応じて違った数値の実勢レートが存在し、何でも5種類ほどの実勢レートがあるらしい。ドルの兌換券も存在する。複雑奇怪な通貨構造だ。
ヤンゴン中心部にある広大で荘厳な寺院シュエダゴンパゴダは、ダゴンにある金の寺という意味。金を意味するシュエはタイの国際空港スワナプームのスワナ(金の)と語源を一とする。仏教はミャンマー国民の生活の基盤として深く根付いており、現世に施す功徳が来世の豊かな生活を約束するものとして信じられ、毎日の僧侶の托鉢に対する施しや子供を僧侶にするなど多数の規範行動がある。多くのアジア諸国で見られる物乞いはここミャンマーではほとんど居なく、それらの多くは寺院が吸収して僧侶にするらしい。来世を信じる人々の葬儀はまことにあっけらかんとしており、親族が故人の遺骸を荼毘に付したあとは、そのまま帰ってしまう。遺灰は僧侶が片付けてくれ、49日も無く、位牌も無く、仏壇もなく。まさに死は豊かな来世への旅立ちとして認識されている様だ。
「プノンペン・シハヌークビル港」
故ポルポトはインテリでもあったが資本主義が大嫌いで、農民が農産物を汗水流して生産するのに対し、都市部の連中は会社の涼しい所で仕事し、それは搾取であるとして都市部のインテリを地方に強制連行し、農業に従事させるか虐殺した。いきさつは違うが、文化大革命のカンボジア版に近い。当時7人に1人が虐殺されたか飢え死にしたが、世代が徐々に代わり、その悪夢も年ごとに忘れ去られようとしつつある。現在、カンボジア政府は歴史教育に力をいれはじめた所であるという事だが日本も見習いたい事だ。そんなカンボジアも海外諸国からの援助もあり大きな変貌を遂げつつある。プノンペンから国道4号線を海岸に向って4時間ほど走ったシハヌークビル港は現在日本のODAによって拡大整備され、隣接する工業団地もほぼ整地がおわったところだ。現地の縫製業、製靴業は大繁盛している。プノンペンの工業団地でも日本の製靴業社がすでに工場を構えて稼働していた。中国からのシフトの一選択としてカンボジアが浮上していると感じた。ただミャンマーほどひどくは無いが電力不足が一番のネックで、多くの電力を使用する工場はここ当分稼働に問題が生じるであろうとの事であった。
カンボジア文字はここ東南アジア周辺国と似た感じのミミズののたうった文字であり、隣のベトナムが使用しているアルファベットではない。両国ともフランス植民地時代にアルファベット使用を強制されたものの、カンボジアには根付かなかった。カンボジア仏教と庶民と寺院の結びつきがそれを許さなかった様だ。つまり寺院で使用する文字が庶民に根付いていたのであろう。他方ベトナムは難しい漢字であった。日本はひらがなとカタカナという漢字を崩した独特の文字により広く庶民も文字を理解したが、ベトナムではそうはならず、簡単なアルファベットが容易に受け入れられてしまったのでは無いだろうか。カンボジアは仏教国であり、仏像を崇拝する。しかしながら日本の神道の様な自然崇拝もあるのである。たとえば神聖に見える山などである。恐らくは仏教が伝播する前の庶民宗教であったのだろう。
カンボジアの寺院などには頭5つの蛇の像が沢山見られるのであるが(写真)、タイ、インドにも3頭、6頭等の蛇の彫像をよく見かける。タイのスワナプーム国際空港には、三頭蛇と人間の綱引きならぬ蛇引きの大きな彫像がある(写真)。やまたのおろちは、出雲地方に古くからあった民話で、いにしえ、台風シーズンに氾濫を繰り返す河川を8つの頭の蛇にたとえ、氾濫を静める為に捧げる生け贄の「くしなだ姫」を「すさのおの尊」が助け、治水により氾濫をなくしたという伝説伝承であるという事だが、その物語にたとえたルーツも、もしかしたら、インドあたりで出来、タイなどから日本に渡来したものなのかも知れない。今は調べる余力も無いが、いずれリタイアしたらゆっくりと伝承を調べてみたいと思っている。
カンボジアを走る自動車は圧倒的に日本車である。しかもレクサスが顕著に多い。カンボジアはフランスの植民地であった影響だろうか、車線は右、したがってレクサスだとかピックアップトラックだとかは北米から来るとの事だ。隣のタイでは沢山生産しているのに、なんともハンドルの右左は物流を強く阻害している。
「中国・空港・給湯器」
国により人々の生活習慣は違うのは当たり前だが、中国の人々にとってお湯はどこでも必要な必需品だ。お茶の葉を入れた携帯容器にお湯をつぎ足す必要があるからだ。面白いもので、中国の空港ではほとんどの所に給水器と一緒に給湯器が常備されている。また海外の展示会で中国や台湾の出展業者を見て居ると、大概お湯沸かしを小間内に持参している。
「中国CNG」
中国もちょっと地方へ出ると、CNG(天然ガス)の供給スタンドでタクシーが「加気(チャーチーと言う)」待ちの行列をしているのを見かける。天然ガスが不足しているのだ。
中国がやっきになって尖閣諸島近くの天然ガス田の開発をしているのが良くうなずける。この無人の尖閣諸島は、無人が故に今後大きな問題を含有する事になるだろう。もっと前に誰かを常住させていれば問題も無かったはずだが、いまさら海上保安庁とか自衛隊を常駐させる事は困難であろう。かと言って領有権を主張する中国や台湾の軍がここを占有する事も考えておかなければならない。日本の強い後ろ盾であるアメリカは、尖閣諸島については当事者同士で解決すべき問題と、さじを投げている。お互いが牽制して当分無人のままにしておけば問題も先送りされるのだが、その様な状態がずっと継続するのかどうか、大きな懸念材料で強く心配している。
「造花」
インドの小さなホテルで見事なガーベラが生けてあった。これは綺麗と子細に見たら造花だった。一瞬の興醒めである。オフィスやビルでよく見かける作り物の観葉植物も、遠目でみればその緑に安らぎも感じるが、一旦それと知ってしまえば、むなしい。造花でごまかす、といったら大げさかも知れないが、生きた植物を置いておくのは手間暇かかる。何か造花に手抜きとごまかしを感じる。自然の妙なる造形の神秘は決して人造では真似ができない。
「スポーツ選手、計画的トレーニング」
オリンピックは魔物だと言われる。優勝の最有力候補が負けてしまったり、優勝候補ではなかった選手が優勝するというどんでん返しがしばしば発生する。4年ごとに行われるスポーツの世界的祭典は、国際選手権とはまた違う重みがある。選手にとって4年のスパンは長かろうと思う。365日、一時も休むことなく練習に精進し、優勝に向って4年間もそれを繰り返すという事は並大抵の努力では済まないはずだ。食事・基礎トレーニング・練習と生活のすべてを捧げ、4年後の試合に向って計画的トレーニングを積むという事だが、並みの人間の精神力では持たないだろう。試合その物の重圧も想像だに出来ない。従って優勝者、金メダリストにはそれなりの評価が与えられる。また銀・銅メダリストにも敬意が払われる。誰が何と言おうとその過程と結果を考えるとメダリストは立派だ。
国の代表として戦った選手に対し、国歌が吹奏され国旗が掲揚され、世界中からその結果を称えられるのである。
「空港名」
外国の空港には著名な政治家の名前を付ける事が良くある。ドゴール空港とか、ジョンFケネディー空港は良い例だ。インドでは、デリーのインディラガンディー空港、その息子のラジブガンディー空港(ハイデラバード)(両名は暗殺されている)をはじめとして、ムンバイもチェンナイも政治家の名前をつけている。ふと省みて我が日本の空港はどうだったか、名前をつける程の政治家も居なかったか?高知竜馬空港というのが唯一あった。テレビでは今竜馬ブーム。命をかけて危機にある国を救おうとした竜馬にスポットライトが当てられているのは、今の日本の政治が誠に心許ないという事の証左でもある。このどうしようもない日本の政治を大なたを振るって改革する政治家はもう出ないのだろうか?空港に名前を冠しても良い様な政治家。いやちょっと待て、日本の空港はどうしようも無いほど不要に増えてしまった。新空港はもう不要だった。
「平和・食事・日清食品」
漢字の妙味は表意文字であり、字そのものに意味があるという事だろう。木、林、森と木が増えて行くにつれて文字通り意味が変わってくる。中国の簡略文字はこれを上手く真似た。人、人を横に二つ並べて「従」、森の様に三つ配置して「衆」。面白い限り。逆に瀋陽は簡略文字にしたら「沈?」と、太陽が沈むになってしまった。元気が出ない。
チキンラーメンと、カップラーメンで一代を築き、つい最近「元気で死にたい」という念願通りぽっくり亡くなった、日清食品の創始者安藤百福さんの語録と、その息子さんの現社長が書いた「カップラーメンをぶっつぶせ」という本を面白く読んだ。どこの会社でもある、先代から次世代への承継時の親子の葛藤は、私にも沢山の記憶があるが、あそこまではひどくなかったかも知れない。
食は人類の存続のもっとも基本のベースである。漢字で「和」は穀物を口にするという意味であり、「平」はたいらかに皆、つまり、みんながご飯を満足に食べれる事が平和の意味であると考えて良いだろう。数年前にカップヌードルのコマーシャルで、食と平和をテーマとしたシリーズがあったのを覚えているが、これは日清食品の創業時からのポリシーを問いかけたものと言う事だ。
飽食の日本はまさに平和そのもので、平和ぼけと言われて久しい。その日本も実は問題山積、先行きに暗雲がたちこめている。ここ一番が努力と勝負のしどころだろう。今年後半の貴社の御検討を祈念致します。