billboard

世相

平成21年 正月

  • 2009年01月

「手料理・教育」
広東省で大抵一度や二度は聞くが、「中国では飛行機以外の飛ぶ物、机以外の4本足の物は全部食べる」という冗談(いや本当か?)がある。ずっと昔から人口の多い中国では、およそ口に入れて支障の無い物は全て食さなければお腹を満たせない人が多数いたからに違いない。川魚などおよそ美味ではない素材をいかに調理して美味にするかで中華料理の調理の技が磨かれたはずだ。日本では、たとえばマグロの大トロとか、魚沼産のコシヒカリだとか本質的に素材自体が美味な物も沢山あり、ただ切って刺身で食べ、普通に炊飯してそれだけ食しても十分味を満喫できる。叱られるかも知れないが、鮨は料理では無いと思っている。素材が良いから、切ってつけ合わせれば良いだけだ。組み立てるだけだ。しかし多くの食材は手間暇かけて、色々な調味料を加え、火加減のあんばいに注意し調理してこそ美味しい料理ができあがる。教育も同じじゃないか。飛び抜けた秀才が来ようはずもない中小企業では実感する。学校での教育が誠に宜しいので、中小企業にはとんでもない食材が舞い込んでくるし、選択のしようがない。それを選択するかゼロかどちらかだ。飢え死にするより食べるしかない。それら素材をいかに美味な職人に育てるかが中小企業の本骨頂だ。しかし、そもそも学校の週休2日など手抜きの最たる物だ。手抜き料理が旨いはずがない。学校教育こそ何とかしなければならない。

「コインをなくせ」
弊社は造幣局にも多数の機械を納めている。コインの様な下世話な物の製造では無く、勲章だ。コインは1分間に何百個という高速で製造され、もちろんそれを製造する機械は下世話なくせに非常に高額だ(くやしい事に勲章を作る弊社のプレスの方がよっぽど安い)。地金は銅とかニッケルとかこれも最近高価である。全部国の予算で道具立てがされて作られるのだが、どうも一円玉は出て行く一方でどこかでたまり貯まっているらしい。一円玉を作るコストはその何倍かだそうだ。財布の中身もコインばっかりだとただ重いだけでやっかいな代物だ。
最近の鉄道などのチャージ式プリペイドカードはその点非常に使い勝手が良い。民間が考えるとこうなる。コインは廃止し、すべからく全部カードにしたらどうだろうか?

「ハンガリー」
昨年夏、ブタペストを訪問する機会があった。特に印象として残っているのは、やけに物価が高かった事だ(対円換算で非常に物が高い)。タクシーもちょっと乗っただけですぐ三千円にもなってしまう。聞いてみたら、どうもロシアをはじめとする周辺諸国からかなり投資マネーが入って投資をしているかららしかった。ところが、である、その状況は秋口からの国際的不況とともに激変し、投資マネーは国外に回収され、ハンガリー経済は大打撃をこうむるのである。

「インド・パニック」
経済危機のあおりを受けて、インドでも突然の不況風が吹き荒れている。設備投資計画は全面的に凍結延期状態である。何しろ自動車など生産が半減しているので仕方がない。長い間の社会主義体制で多くの人たちは底辺でうろうろしていた。外貨手持ちはほとんど無く最悪の状況だったが、おしなべて皆が底辺に居たので大きな変動も経験せず時が流れた。1990年あたりからの社会主義体制脱却で貿易も自由度が高まり、諸工業もIT産業の例を見るまでもなく大きく発展した。中小の財閥らしきものも多数出来カーストの中間層は可処分所得を伸ばし、それが二輪車、自動車、家電の購買につながりそれらの産業は車輪が大回転する様に大きく躍進した。改革このかた一本調子で伸びて来たところのこの大不況の波である。もうおろおろガタガタ心配が心配を呼び、大変な騒ぎなのである。日本、タイ、インドネシアなどが比較的冷静に事態を見守っているのに比較してとんでもない狼狽だ。前回のアジアの通貨危機の波をまともにかぶっていないので、経験済の周辺アジア諸国と比較すると今回の経済危機への反応に大きな違いが感じられる。

「ビンディ・マサラ、ドーサ」
インドでビンディーはレディースフィンガー(女性の指)とも呼ばれる野菜だ。何を想像されるだろうか? 日本でもおなじみの「オクラ」である。エチオピアあたりが原産らしいが、日本に入ってきたのは明治初期。私の子供の頃にはお目にかかった記憶がない。トマトも明治になってから食用になったらしいが、一般に常用される様になったのは昭和に入ってかららしい。トマトはそのままかじって食べられるのでオクラよりずっと一般的になった。さて、ビンディ・マサラは簡単に言ってオクラカレー。スープカレーではなく炒めカレーだ。滅法美味い。これはぽろぽろのインド米で食べるより、パンの一種のナンをちぎって手でつまんで食べた方が美味い。右手の指でナンをちぎり、そのままビンディー・マサラをナンでつまんで食べる。絶対に右手だけ、左手は決して使ってはいけない。左手は食事の後の用足しで、インド式ウォッシュレットであそこを洗う手だから。
ドーサは米から作った餅と考えれば良い。普通朝食に出る。邪道かも知れないが醤油と海苔があると結構旨く、磯辺巻きの様になる。単調なインドでの朝食がバラエティーに富む。
皆インドと言うと、食事に対してマイナーな気持ちを持つのだが、結構美味しい物もある。

「アマゾン・ラテライト」
ブラジル、アマゾナス州の州都マナウス。アマゾンと聞くと我々日本人はまず真っ先にアマゾン川のジャングルを連想する。アマゾン川はしかしマナウスの21se.amazon少し下流の、ネグロ川とソリモンエンス川の合流地から川下を総称する名前である。遠くコロンビアを源流とし、ベネズエラを経由してたどりつくネグロ川は水が黒く、他方のソリモンエンス川はペルーを源とし水の色は白い。両川は合流したあとも水温と内容物の比重の関係で当分混ざり合わず数十キロも2色に分かれて下流に進むのである。写真(アマゾンの上流)合流点から大西洋まではなんと1500kmあまりある。
合流点は、マナウス市街の東にあるポート・セアザ 写真(セアザ港)の目の前に位置する。ポートと言っても船着き場程度で、実はこの港のすぐ手前がホンダやヤマハの工場のある第一工業区であった。第一工業区は内陸部と誤解していたが、背中はネグロ川だったのである。
なかなか実際に行ってみないと土地の感覚はわからないものだが、サンパウロにしても最寄りの港サントスまではたかだか60kmしかないが、標高は800m近くあり、市内からサントスまではいったん少し登ったあと、ずっと長い下り道となり、サンパウロ市内の川が絶対サントス側の大西洋には流れ込まないのが良く判る。
1900年頃最盛期を迎えた生ゴムの集積地であったマナウスも、その後の需要減により衰退するが、1967年に自由貿易特区の設定がされて日系を含む多数の工場が進出する。市内から1時間ほど離れた第二工業区は現在拡張の最中で、文字通りジャング21se.sereaルを切り開いている。緑のジャングルが掘り起こされ、赤いラテライトと呼ばれる熱帯特有の赤土に塗り替えられている。ここにも日系の工場がある。
インドシナ半島や中国南部でも土は真っ赤なラテライトだ。無機質で酸化物に富み塩分も含まれる。2700年前頃のタイ東北部ではラテライトから鉄や塩を取り出していた。鉄器文化である。製塩はこの地域に結構な利益をもたらしたらしい。残念ながらラテライトの土はその成分から農業には適さない。逆に乾くと硬くなる性質から、ラテライト土壌の多くの地域で日干し煉瓦、焼き煉瓦をつくり構築物に利用している。ただ、いずれ土から出た物であるので、アンコールワットやアユタヤの遺跡を見ればわかるとおり、長い年月の間に構築物は風雨植物に砕かれ土に戻って行く事となる。ラテライト土壌地区の文化はまさに土から生まれ土に帰って行く文化だ。

 

「ブラジル・展示会」
10月、サンパウロで開催の機械機器展示会 写真(サンパウロ展示会)を見る機会があった。驚いた事に開場は午後1時からだ。午前中はやらない。さらに展示機械のおよそ半分程度が中国製機械であるのに驚いたものだ。大連机廠は広い小間を張り、沢山のNC工作機械を21se.sanpa展示し、ブラジルマーケットへの販売拡大への意気込みが感じられる。これはまともな展示だ。沢山のブラジル製らしき機械があったが、これが中国製作のOEM機械だった。もっぱらブラジル商社が介在して中国製機械をOEM販売している様である。中国製の機械だな!という独特の臭いがある。なんとか臭さでは無く本当の臭気だ。かび臭い。機械に近づくとプーンと臭うからすぐわかる。また、中国製かなと断定出来ない場合も、モーターの銘板や、潤滑装置の説明シールを見ると、漢字表記なので中国製と一目瞭然になる。機械の表だけでなく裏、下、隙間まで、矯めつ眇めつ 眺めるとぼろがでる。中国側、ブラジル側どちらが主導なのかわからないが中国製機械がこれほど多い展示会もお目にかかれないので印象に残った。日本もこのままでは出遅れてしまう。

 

 

 

 

「シカゴ・国際鍛造会議」
シカゴと聞いてまず連想するのは、アル・カポネか。
2002年公開のミュージカル映画シカゴは1920年代のシカゴを描き、現在でもブロードウエーでのミュージカルはロングランを続けている。映画アンタッチャブルもシカゴである。
現在シカゴ市の人口は270万人、イリノイ州人口1200万人の約1/4がここシカゴに居住している。行けど尽きぬトウモロコシの大穀倉地を背後に控え、かつてはミシガン湖とミシシッピー川の水運を利用した農牧畜業主体の街であったが、21se.tanzou1871年のシカゴ大火を境にシカゴは工業主体の都市と変貌する。チューインガムのリグリー、マグドナルド、ユナイテッド航空はシカゴから発祥し、家具・工業製品・家電・冷凍食品などは全米トップである。イリノイ州に進出している日系企業数はおよそ700社、駐在員と家族、留学生を中心に7千人ほどが居住していると見られ、和食レストランも沢山ある。アメリカのほぼ中央に位置する利便性から、国際会議や展示会が市内のマコーミックプレイス展示場で開催され、コンベンションシティーとしても有名である。
前回の18回名古屋開催の後を受け、第19回国際鍛造会議は久し振りに北米シカゴに場所を移し、9月に、シカゴシェラトンホテル&タワー会議場で開催された。
参加27カ国、同伴者を含め730人ほどの参加であった。日本からは約60名の参加。
初日に登録、夕方から遊覧船オデッセー号船上にてミシガン湖クルージングをしながらの歓迎レセプションがあった。写真(国際鍛造会議歓迎会)。滅多にないのだろうが、この大型船はホテルの真横に接岸してくれたが、出港後行く手をクロスする大きな橋は、中央から左右にせり上がって船を通し、見ものだった。この間自動車は通行止めで、船から眺める渋滞騒ぎは申し訳ない気がした。21se.chicago写真(シカゴの夕日)
1日目と2日目のセッション開始前、朝7:30分から展示会場が開き、隣に併設するテーブルでアメリカンスタイルの朝食が提供された。3年に一回シンシナチで開催されるフォージフェア(次回は2010年開催)と同じスタイルである。フォージフェアでは朝夕晩の3食が提供されるが、今回は朝と昼だけ。
一日目のセッションは、アメリカ鍛造のトレンド、金型潤滑、鍛造のロボットによる自動化、特別発表である、鉄鋼ブーム(現実と幻想)、午後から中国の鍛造現況、鍛造シュミレーション(フランスとアメリカそれぞれ1件づつ)、インドの鍛造現況、高周波炉、ドイツ鍛造機メーカーのプログレッシブ鍛造発表があった。
2日目のセッションは、ヨーロッパの鍛造現況、サーボ鍛造機(ドイツ)、ロールフォーミング、インライン検査モニターシステム、チェコによる金型命数向上の発表、イタリアの金型命数向上、金型素材、日本鍛造協会会長の竹内氏による環太平洋鍛造業の現況(オーストラリアと日本の現況)、ヤマナカによる冷間成形法、ドイツ・アメリカによるマイクロアロイに関する発表、フランスによる鍛造材、日産自動車によるクランクシャフト鍛造法、トヨタ自動車によるアルミ合金と付帯設備の発表があった。
アメリカ鍛造業の現況で印象的であったのは航空機産業に多くを依存している事であった。世界の航空機産業をリードしているアメリカならではの現況であったと思う。装置メーカーの発表で印象的であったのは、ドイツシュラーのサーボプレス機の発表である。サーボプレスは概ね10年ほど前から日本から発祥しており、最近ようやくドイツがその波に乗ってきている。発表は日本のプレスメーカー各社の発表の二番煎じであった。
残念ながら、鍛造専業メーカーの発表が無く、鍛造設備装置メーカーなどの新規装置セールス発表の様な感じがした。これもフォージフェアと似ている。
展示会場では37社の設備メーカーや鍛造メーカーが展示した。早い時期にスペースがいっぱいになってしまい、展示は欧米の関連企業のみで遺憾ながら弊社を含め、アジアなどの国の展示ができなかった。朝食昼食を兼ねながらの展示会場の開催で、高周波炉・鍛造プレス、防振、潤滑、素材、鍛造業などが展示。
展示スペースを確保できなかった中国のハンマーメーカー、スクリュープレスメーカーは、受付机上などにカタログを勝手に積んで奇襲攻撃をかけていた。小間では無いからもちろんタダ、 やはり商売熱心だと感心した。
2日目のセッション後、夜ホテル内にて閉会レセプションがあった。All The Jazz Chicagoの少し太めだが躍動的な女性のダンスと歌をディナー中満喫した。
翌日からは、希望コースごとの工場見学が2日間あった。シカゴ近郊鍛造工場コースでは、農機具部品のエアーハンマーによる鍛造がまだ多数残っているのにびっくりした。
名古屋、シカゴの順番からすると次はヨーロッパが順当であるが、次回は新興著しいインド開催と決定した。2011年開催である。3年後のインドは経済危機も克服して更なる発展により変貌を遂げている事だろう。
又多数の世界中の鍛造業の面々との再会を期待したい。

「IMTS・シカゴショー」 
特に意図したわけでは無いと思うが、国際鍛造会議の期間中、世界3大機械見本市であるIMTSが9月8日から、6日間の会2008IMTSchicago期でシカゴ・マコーミックプレイスで開催された。2年に一度、偶数年の9月に開催される。写真(IMTSシカゴショー)
森精機、大隈、マザック、マキノ、ファナックなど日本の主要工作機械メーカーが大きなブースをもって展示した。プレス機はほとんど無く、プレス関連は、FAB TECH他、塑性加工の専門見本市に移転してしまった。ちなみに、3大見本市は他、ドイツとイタリアで交互に開催するヨーロッパ最大の機械見本市であるEMO(エモ)ショーと、アジア地区最大である日本のJIMTOF(通称ジムトフ)。

 

 

 

 

 

「パキスタン」
昨年も又、カラチで開催されたマシンツールパキスタンという展示会に出展した。21se.pakistan写真(パキスタン展示会) 首都イスラマバードのマリオットホテルがテロ爆弾によって全壊した直後である。多くの人が大丈夫なのかと心配はしてくれたが、やはり行ってみてしまえば問題は無いのである。しかしホテルに入る所の保安検査は厳重を極め、ホテル構内に入る車の内部チェックから、ホテル内に入る時のチェック(飛行機に乗る前のセキュリティーチェックと同じ)がある。やっかいだが、泊っているホテルの下から爆発が起き丸焼けになるよりはましだろう。台湾企業も多数出展したが、さすがの台湾勢も来るには心配があったとの事。展示会主催者は、こんな時期に出展してくれた海外企21se.pakibaike業にはいたく丁重で、ディナーパーティーを二回も開いてくれたものだ。鍛造工場もパキスタンにはたくさんあるのだが、残念ながら投資という面では現在パキスタンもどん底のさなかで、まだ五年やそこらは注文は無いだろうと、あきらめている。
パキスタンには、ホンダやヤマハの二輪車が進出しているが、ここの所、中国から部品を輸入して組み立てる企業が激増し、地元二輪車メーカーが乱立している。展示会でも三社ほどがオートバイを展示していた。写真(パキスタン製オートバイ)ローカルの人の話では「百にも及ぶメーカーが、、、」という口ぶりだ。百は嘘だろうが、それほど激増しているという事だろう。

「台湾・マレーシア、株式」
台湾は人口も少なく、自動車産業が発展する前にIT産業に業態が変わってしまった。その上、人口の少なさは物を作るという展開からは不利不向きであり、多数の台湾企業の工場は中国をその最大の移動先とした海外展開を図っている。展示会で懇意な台湾のプレス装置メーカーも、私に会うたび、人件費や製造コストの高い日本での製造をやめ、中国での製造に切り替える様に薦めるのであるが、もちろん私としては考える余地もなくその誘いにお茶を濁している。
こんな話があった。台湾のある装置メーカーは製品を日本にも納入していたが、不運続きで社長は台湾の工場を手放し、マレーシアでの製造に切り替えるべく以前からマレーシアにあった同業種の工場を仲間四人の出資で買い取り、同じ製品を作る為の事業を再開した。しかし四人の内の二人が自己資金難の問題で株を他人に売却してしまった。売却した相手、つまり新しい出資者が無体な要求を繰り返した為、株の買い戻しも策定したが、買取も資金難で一挙にはできず、分割払いも拒否され、実は業績好調ではあるが業容拡大もできず、いよいよ思いあまって自己資金で同じマレーシアに別の工場を手当てし別会社を設立する準備も始めた。しかし別会社で仕事を再開すると旧会社は仕事が無くなり倒産の可能性もある。そうなると自分の出資分も消えて大損をしてしまう。とかなんとかと、やはり中華系の人々の会社経営は大変なものだと感じた。最近日本でも上場をやめる企業が出てきたが、落ち着いて会社経営をし、本来の技術革新などの企業としての重要課題に注力する方向性が出てきている。簡便安直な企業拡大は問題が多く、あとにややっこしい問題を生む可能性がある。

「ベトナム・ドン」
ベトナムの通貨は「ドン」である。NHKの放送で、このドンが日本の銅から由来している事を知った。 鎖国前の1600年前後頃盛んにルソン(フィリピン)、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)、コーチ(ベトナム中部)などと交易していた日本であるが、当時日本の銅貨が輸出品として現在のベトナムに持ち込まれたらしい。つまり日本の通貨・貨幣が決済手段だったわけだ。この時代は日本の大航海時代だ。数百年経過し、平成の今も当時となりわいはあまり変わらなくなって来た気がするが、円はドルに変わる決裁手段になるのだろうか?

「左きき」
最近若い子に左利きが多くなった気がする。家庭内の躾と学校の教育に関係しているのだろうか? 本稿で前述したがインドでは左手と右手の使用は厳格で左手は不浄の手。トイレットの後処理も子供のころからしっかり躾けられる。世界的に左利きは1から2割程度らしい。日本は箸を使い、かつては作法にうるさかったから子供の左利きを矯正した。ナイフとフォークの欧米では左でも右利きでも大差は無いだろう。書くについてもアルファベットだけならこれも大きな問題もないかもしれない。欧米では昔から公式文書はタイプライターだ。日本ではたくさんの漢字を使い込み、それもきれいに書く人が教養度が高いとされてきた。それも最近のワープロやコンピューターでは必要がなくなった。ここらへんが左利き増加の原因の一つかも知れない。

「目線」
バンコックだったか、ホーチミン市だったか良く覚えていないが、いつも乗用車で移動しているのを、たまたま何か移動にバスを使う事があった。何気なく頻繁に通る街路が、少し高い所からの眺望となると低所から見ることができなかった物が沢山あり、「こんな所にこんなのがあったんだ」と何回もびっくりしたものだ。やはり目線は変えるべきだ。いつも同じ目線から見てばかり居ると事象が固定されてしまい、チャンスも見逃してしまう。乗用車からバスへ、一階から二階へそして高層ビルへ、または飛行機から、普通では無理だが宇宙からと。
だが、逆に灯台もと暗しという事もあるので満遍なく視野は広げたい。
サブプライムに端を発した世界的規模の経済混乱も、色々な目線からすれば決して悪いことばかりではないはずだ。何より前向きに捕まえる目線が必要だろう。新しい年が、日本にとって、貴社にとってより良き年となります様、ご健闘をお祈りします。

2001-2003 copyright© 2009.2.24 榎本機工株式会社.